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[ジャズ学習の軌跡]

ここでは不肖加藤英介がどんな風にジャズを学習してきたのかを、思い出せる範囲で書いてみたい。
まず、駿台甲府高時代の美術の先生がジャズ好きで、いろいろジャズの話をしてくれたのを覚えている。  彼はなんと言ってもバドパウエルの熱狂的な信者だったので、 「ジ・アメイジング〜vol.1」 を買って聴きまくってみた。  1〜3曲目まで同じ曲だったのでちょっとびっくりしたが、そんな物かと簡単に受け入れた。  それから暫くしてちょっとしたいきさつがあって、劇に出演してシャンソンを歌うという離れ業を演じる事になる。  そのときの座長がジャズ好きでオスカーピーターソンを貸してくれたのだが、これは判りやすかった。  それまで俺はリチャードティー(pf,kb) のコピーとかスタッフなんかにハマっていたので、ファンキーなサウンドとかインサイドのソロは入り易かったのだ。  それにピアノが滅茶苦茶うまいところも目標とし易かった。  クラシック上がりの俺にはジャジーなラフなプレイが長い間受け入れがたかった。  リズムやタッチが粗いだけでもどうしても聴き辛かったため、 モンクは勿論、バップ系の巨匠の多くや、今だったらどう聴いてもバカうまのジェリアレンでさえ聴けなかったのである。  全くをもって勿体無い話だが仕方ない、そういう人生だった。  しかし、ビルエバンス、チックコリア、キースジャレット、ハービーハンコック、ケニーカークランド といった巨匠たちの演奏には心底楽しませてもらった。  特にチック、キース、ハービーの3人は長い間3大英雄として不動だった。  ある時期チック一辺倒に心酔してそれっぽいプレイになると、それからキースに取って代わって暫く行く、 といった具合に何年かに渡り、その3人は常に一人ずつ心の中を独占していた。  と、同時にジャズと名の付くものなら何でも聴いてみようと思っていたので、大抵のものはCDを1枚は買って聴いてみた。  技術的には、 「コードが変わるたびにアルペジオを変化させながらベケベケ弾くとそれっぽくなるな。」 とか、マイルスのネフェルティティを聴いて、 「こんなのコードなんてあってないようなモンなんだから要するに好き勝手にやればいいんだな。」 とか、いつも単純明快で極端な理論を推し進めた。  ずっと若いときに他人の意見に惑わされて悔しい思いをした経験がトラウマになっていたため、 特に初めのころは人様にアドバイスを頂いてもピンと来ない物はアッサリ無視した。  今だったら逆に興味深いな。  他のミュージシャンが何を考えているのか。  それからだんだん1音聴いただけでガコーンとその人の世界に引き込まれるような 強い個性的なサウンドとでも言うようなものにあこがれるようになった。  勿論そんなもの簡単に手に入りはしない。

1音聴いてガコーンと引き込まれたストロングなサウンドの例
リーコニッツアンドギルエバンス「Heroes,Anti heroes」
チャ−ルスミンガス「Mingus plays the piano」
マラソンセッションのマイルスのミュート
ビルエバンス、特に後期の粗くない物
ポールブレイ、初期以外の物なら何でも
ハービーハンコック、NARUのデカいスピーカーで聴いた時、VSOPのバッキングのサウンドがスゴかった
コルトレーン、「Blue train」のソロの入り
菊池雅章「Paul Motian TRIO2000plus1の1曲目のアタマ」
(サウンドでハッとさせられた、全く個人的な体験談に過ぎませんのでよろぴく。  グレートなミュージシャンはみんなスゴいサウンドを持っていますよ!)

ピアノを弾きこなそうという当初からの試みは残念ながら今も続いている。  つまりまだこれからも楽器との格闘を続けなくてはならない。  今では、タッチがすべてと言ってもいいんではないかと思っている。  楽器は身体の一部のようになった時 初めて習得したといえるし、そうなればその時初めて自分の音楽を表現できるだろう。  芸術は表現者の人生そのものであり、音楽家であれば誰しも彼だけの音楽を既にその内に持っているのだから。  ちょっとキザすぎたかな?

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