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2011.12.31  [久しぶりに作曲もした・・・]
12月31日
今月になって、音楽関係の友人がパソコンを作って送ってくれた。彼はパソコンとかスピーカーとかバンバン作っちゃう人で、六万円ぐらいの予算で相当いいのを作ってくれた。

パソコンが壊れたとき、何て不便なんだ、と思ったが、パソコンがないのにいったん慣れるとそれがめちゃめちゃ楽になってしまって、新しいのが来てからも日記もスケジュールもずっと放っておいた。年末だということで久しぶりに書いたのだ。

もともと俺はパソコン嫌いだ。歴史は中学まで遡る。浅井という友人がいて、彼はピアノやドラムも演奏する音楽仲間だったのだが、何といってもそいつは当時のマイコン(パソコンの前身。ベーシックなどのコンピューター言語を用いる、今のパソコンよりはるかに面倒くさい代物。PC8001、PC8801など。)に夢中で、近所のマイコン屋に毎日入り浸っていた。

当時はYMOが流行った関係で、俺もシンセサイザーを親に買ってもらったりしていたが、俺はその取り説が読めなかった。今も読めないが、それはもう当時からなのである。機械の操作方法を勉強してびよーんと音を作ったりするよりも、両手でピアノをバリバリ弾くほうが楽しかった。やっぱりピアノは他の子より上手かったのかもしれない。

そんな俺からしてみるとシンセサイザーも使いこなし、ドラムまでコツコツ練習してそつなく叩き、放課後は何やらマイコンに没頭している浅井はタイプの違う存在だった。 あるとき浅井に「マイコンっていったい何ができるの?」と聞くと、奴は興奮して「何でもできる、何〜でもできる!」と答えた。  俺がいらいらして「じゃあお前、今すぐらーめん作って持ってこさせろよ!」と言うと、奴はぽかーんとして向こうに行ってしまった。

今思えばこの一件が俺たちの運命を分けた。比較的最近、四半世紀ぶりに突然浅井からメールがあった。俺のCDをアマゾンで見つけ、HPを発見してメールしてきたのだ。

彼は今、某大学の助教授で、昆虫の複眼のシステムを科学に応用するプロジェクトをやっていた。 
俺は嬉しかった。奴は勉強が特別出来た訳ではない。 子供の頃からとにかくパソコンが好きだっただけなのだ。 その彼が今、そっちの分野で世界を牽引しているというのは気持ちのいい事ではないか。  彼も俺の活動を非常に喜んでくれた。ひょっとすると、俺が彼に対して思ったのと、何か似たような事を感じたのかも知れない。

「路傍の石」という本を読んだ。最近まで気づかなかったのだが、俺は今年厄年だった。音楽的にはだいぶ充実したが、いろいろと大変な一年であり、考えさせられもした。それで「路傍の石」である。  不遇の少年が丁稚奉公に出され、根性で這い上がるストーリーで面白いから一気に読めてしまう。 常にこき使われてきた少年、吾一が物語の最後にたどりつく境地が、自分自身の主になる、という事だった。 頑張ってきた仕事のスキルをすべて生かして、業務のすべてを自分でやる。俺はなるほど、と思った。

食うに困るような経験がない俺は、そういったすべてを取り仕切ることが苦手だった。 面倒くさい仕事はどちらかというと人にお願いしてやって貰ってきた。  自分はただ練習したりプレイしたりしてきた訳だが、やっぱり自分で全体を取り仕切っていない、いわば中間管理職、平社員程度の仕事に徹していると、全体がダメになってくる。それは思い知った。
俺はもうベテランと言っていいキャリアで、今まで自分がやってきた仕事について、何がどのようになっていてどうすべきなのか、何をやっちゃいけないのかとかいう事は判るつもりだ。 自分のすべての業務に対してビジョンとかスキルがあるといえばある。 それを来年はやってみたいと思っている。もっとプロとして会社を経営するように活動する、という事だ。

ずいぶん久しぶりに作曲もした。 ジャズ・ミュージシャンは作曲しないと駄目だというのはずいぶん前から解りきった事であるにも拘わらず、つい怠けてきた。やっぱり全体が見えてないからである。 ホントはとっくにやるべきであった。
作曲は回遊魚と同じで止まると死んでしまう。 やめると書けなくなってしまうのだ。 なるべく、書き続けよう。

今日は今からベランダを掃除して、夜は恒例ドルフィーの年越しジャムセッション。 来れる人は来て一緒に盛り上がりましょう!

それでは皆さん、今年一年ありがとうございました。 来年もよろしくお願いします。  加藤

[“ EDITOR ”'s ROOM ]
藤沢駅 南口からすぐのところに『BECK』/パブ・レストラン がある。  1988年4月に 藤沢本町にある“C・・”でスターとし、翌年からは、『BECK』で毎週 Live演奏の企画を始めた。 2012/4月で24年目になる。 10数年間は、厚木にある“M・・”でも 週 数回の企画を平行して行ってきた。
今年〜翌年 にかけて、12/28(水) 1/4(水) Liveを休みにした。  2周つづけて休むのは23年間で、初めて・・(たぶん)。  少しゆったりするのが ぴったりの気分・・?
2012年1/29(日) には藤沢市民会館小ホールで“藤沢音楽祭”のJazzの企画を頼まれ、音響にもかかわることになった。 朝10時くらいからで、午前中には終わりますが、ぜひ聞いてほしいです。



2011.10.28  [フロント奏者の息遣い、ヴォイスが聴こえてくるような・・・]
10月28日
何故これだけ長い間日記を書かなかったかと言うと、家のパソコンが壊れたからだ。 遂に全く立ち上がらなくなってから久しい。 買わなきゃいけないんだろうが、お金もかかるし忙しいしでまるで動いていない。 これは実家で親父のパソコンを借りて書いている。  9月10月と何があったのか手帳をチェックし直してみると、前の出来事がもう何か懐かしい。

マリアさんとのライブはどれも楽しかったし、いろんな人との出会いもあった。  直さん達とのバンドは本当にすばらしく、実りの多いものになっている。 俺はこのバンドに対してあくまで前向きでテンション高く、もしかしたらバンドで一番多くのものを得ているのは俺かもしれない。 とにかく演奏は格段に進歩したし、確かな手ごたえを感じながら自信を持って演奏するようになった。 もちろん、うまくいかない時もあるという事を前提にした話だが、とにかくまず演奏の視点が大きく変わった。

実際の視線も変わったのだ(笑)! 歌でもサックスでも、とにかくフロントの人の顔を見ながら演奏する。 そうすると、彼らの呼吸をワンテンポ早く掴むことが出来、正しいポジション取りをスピーディーに果たすことが出来る。

正しいポジションとは、とにかくフロントのプレイがよく聞こえていて、フロントの喋る話から自分の関心が一切逸れたりせず、その上で自然に音楽が求めるプレイが出来る状態の事。 それは一種のトランスだ! 麻薬でそこに行こうとする者もいるが、やり方さえ覚えれば、そんなものは無くてもそこに行ける。

リスナーでもそこに行ける。 とにかくまずフロントを注意深く聴いてみてほしい。 ぼんやり全体を聴いてちゃダメだ。 フロント奏者の息遣い、ヴォイスが聴こえてくるような聴き方があるはずだ。 それがジャズ奏者のフレーズじゃなく、誰しもが同じように生まれつき持っている、一人の人間としてのヴォイスとして聴こえてきたら、それがそうだ。
そうなると、例えばシンバルレガートが、ベーシストやピアニストの出すアクセントがヴォイスとして聴こえるようになる。  その状態で音楽が求めるままにプレイする。 フロントと一緒に自分が歌う。 フロントのプレイを自分が演奏しているように聴く。  こういう境地に、最近来た。

森近バンドのレコーディング、楽しかった。  録音自体は、想像していたよりだいぶ早く終わった。 殆ど録りなおししなかったからだ。 音楽のタイプからいって、もっと作り込むのかと思っていたが、森近さんがそれを望まなかった。 だからちょっとしたミスなんかは、そのまま。 その意味ではジャズにこだわったといえるだろう。
とにかくトラックダウン、マスタリングに至るまで、鬼才、森近徹(ts,ss)の完成を余すところなく伝える作品になっている。  マスタリング後の完成音源を聴いていないのでまだはっきりとは判らないが、まずなかなかのCDになることは間違いない。

[“ EDITOR ”'s ROOM ]
ここしばらく、まわりで 壊れたり 不良になるものが多い。 PC、音響機材、TV録画機器、洗濯機、冷蔵庫、そして車。  もうじき20万kmにとどく 走行距離。 そろそろ 車検もきびしくなることもあって、換え時を検討していたところ・・家族が追突。  幸い双方とも無事で、物損のみ。 車両保険に入っていたこともあり、下取り査定 0 のところ・・修理代が支払われることになった。  もちろん、更新後の保険料も上がるわけですが・・。 で、新車がきました。 我家の場合、荷物がつめて、(BASS)も乗せることができて、 私が希望する車高160cm以下(立体駐車場に入庫可能)で、荷物室のドアーは上に開けられたほうがよい(屋根になる)、で、なるべく支払額が低くおさえたい。 困るのは、担当者とか その他諸事情で TOYOTAさんのあるSHOPを継続利用しているわけですが、 なぜか 以前購入した車種が、SHOPの編成替え(?)で、扱えなくなること。 TOYOTAさん どうなってるの?? もっと自由に選択させてほしい。 他のメーカーも 同様なのかな・・・?



2011.09.02  [充実した夏が終わろうとしている・・・]
8月31日
音楽、遊び、トレーニング共に充実した夏が終わろうとしている。 今年の夏は非常に充実していた。  友達連中との絆も深まった。 いろいろと判りあえたりするケースが後を経たない。 意外と俺にも友達がいたようだ。 ジムでのトレーニングも好調だ。 使用重量こそ劇的な変化はないが、フォームの精度が今までになく高まっている。  今のトレーニングが一番いい。 メインセットも、今までの2セットから4セットに増やした。  量的に結構ヘビーになったが、もう慣れた。  トレーニングの量というものには、その都度身体が慣れるものだ。 そしてこのぐらいの少し多めのトレーニングに慣れておいたほうが、総合的にみていいように思う。  最近はスクワット、ベンチプレス、デッドリフトの三種目のどれも悪くない。 こういう時は案外少ない。 気分は上々だ。

最近コードを弾く時、両手で小指から親指に向かってパラパラっと弾く、これを柔らかいタッチでも鋭いタッチでもやっている。  それによって拍の“点”が伸び、共演者が楽に演奏できるようになるのだ。  そしてそれは共演者のポテンシャルを発揮させやすくし、それがそのまま自分にもフィードバックされる。  また、そうやって弾いたコードはキレイだ。 自分のサウンドと言ってしまいたくなるような、個性的でいい音がする。  これのおかげで最近、演奏の水準が以前のレベルまで落ちなくなった(笑)。  いい時も記録更新だ。 
ただしかし、このタッチとソロ時のタッチには開きがある。 コレをどう繋げて行くべきか、まだ考えがまとまらない。  また、ソロのタッチに関しても、まだまだコレ、とは言えない。 いくつか最高だと思っているやり方があるのだが、まだ全然繋がらない。 繋がらないし、自在に呼び出しも出来ない。 ある程度はできるが、確約できない。  これは、猛練習したって繋がらない。 時間がかかるのである。  そもそも、このコードの弾き方だって最近気が付いたものではない。 ずいぶん前から知っていたのだが、最近になって自分の演奏に生きてきた。
本当に40過ぎても、相変わらず一歩ずつしか進まなくて参るが、若い時にスターだったような奴も、そうでない奴も、本物を目指すなら苦労があるはずだ。 文句を言っていけない。

そんな中で森近(徹、ts,ss)バンド、レコーディング決定〜! パチパチパチ! 
あの強力な音楽にまず驚き、みんなで格闘した日々は過ぎ去り、気が付いたらなかなか素晴らしいバンドになっていた森近バンド。  バンドの最近の充実振りを考えると、このタイミングでのレコーディングはベストだ。  森近グループの、今までの集大成と言っていい作品になるだろう。
スタジオはお馴染み“dede”になりそうだし、俺自身レコーディングに対するビジョンが今は多少なりともある。  個人的な流れから言っても、今度の作品はいいものになる予感がする。 メンバーも皆、経験豊富だし。 お楽しみに!

[“ EDITOR ”'s ROOM ]
機材のこと・・・処分品で購入した 2台のCDレコーダーでしたが、残った1台もだましだまし 使用していた。  まず、マイク・スタンドetc.セッティング中に、(何でもよいのだが・・)既レコード済 ディスクを走行させておく。 機材を暖めるために・・! 会場の広い コンサートホールでは、(たぶん)温度があがらず、だめだった。  季節の変化とともに、通常のLiveの場でもだめなことが多くなった。  キープしてある、特別なメディアのみ、正常に動作する。 が、在庫も200枚をきり、このメーカーは既に 製造をやめている・・・! 
先日、とうとう2枚とも(通常Liveで 2枚必要) 特別なメディアを使わざるを得なかった。  もちろん、このメディアのほうが 音質は良いが、日常に使用していては、レコーディング体制も終わりになってしまうので、 財政難 特にきびしいなか、とりあえず、1台を導入することにした。 (バックアップ・トラブル対応 etc.の為、2台以上はほしい)
今回のレコーダーは、CDとコンパクトフラッシュを選択使用できる。  先日のLiveで、『OldのCDレコーダー』と『NewのCF』をステージ別に、使用。  プレイヤーにも視聴してもらう。
『NewのCF』 「きれい」「CD(市販の?)みたい」・・・
結局、だめでした。 私の録りかたではない! 奥行きもなく、勝手にきれいに まとめられてしまって、個性がないです。  “ひと(演奏者)”の存在が感じられる録り方でないと・・・  同じラインから録った 『OldのCDレコーダー』は ほぼできている。 視聴したプレイヤーにも、“差”はわかってもらえて。
CDとコンパクトフラッシュ の差なのか? 次回、CDでトライする予定です。



2011.07.31  [今年は何か、例年以上に夏休みだ・・・]
7月31日
有桂(vo) のCD録音は完了した。バック・トラック録りに二日、ボーカル・ダビングに更に二日、トラック・ダウンとマスタリングに二日。 結局、ゴールデン・コースだ。
今回もマックス頑張った。 全員、マックス頑張った。  また特に今回、有桂っちが俺を全面的に信頼してくれたおかげで、仕事の指揮からトラック・ダウン、マスタリングまで、基本的に全部自分のペースで出来た。 というか、他にやる人がいなかったのだ。  勿論、優秀なエンジニアの松下君からあらゆる局面で教わり、助けてもらったが、これほど技術的な事も含めて レコーディング全体を掌握し、最初から最後まで自分で指揮したレコーディングは初めてだ。 ああ、俺にも出来るんだ〜、という大きな自信に繋がった。 だからという訳ではないが、出来栄えには結構満足している。

有桂っちも相当苦しんだと思うが、絶対にキレず、あくまでポジティブに チャレンジし続ける姿勢は ちょっとリスペクトが上がった。  二クラス(gt) も松下君も、今回のレコーディングでは誰もキレたりわめいたりしなかった。 意外とこれは当たり前の事ではない。 みんな、プロフェッショナルだった、意外と(笑)。

仕事が暇なので、遊びの用事をぽこぽこ入れたら、いきなり忙しくなってしまった。 何か、完全に夏休みに入った。 友人のミュージシャン達も同じように暇な人が多く、それが更に夏休み感をアップさせている。 今年は何か、例年以上に夏休みだ。
リチャード・ティー(pf,kb)の90年頃のライブのDVDを友達に観せてもらった。 リチャード・ティーの他、俺は20歳頃、リチャード・ティーやSTUFFなどの、NYのR&B、ソウル系スタジオ・ミュージシャンの音楽にはまり込んで勉強した時期があって、よくライブも観に行ったものだ。  当時の俺にはやたらオーラのある、面白い格好をしたおじさんたちに映ったが、今観てみると、昔のイメージよりみんなずっと若い。 そうかな、とは思ったが。  そして、それだけじゃない。 みんなファッショナブルであり、見られることを意識してプレイしている! ステージングが滅茶苦茶格好良いのだ。  そして更に驚いたのは、みんなとてつもなくバカテクでイケイケだった事だ。 このDVDのメンバーはリチャード・ティー(pf,kb)の他に、ウィル・リー(b)やスティーブ・ガッド(ds) 、ジョン・トロペイ(gt) にラルフ・マクドナルド(per)、トム・スコット(ts)という 錚々たる顔ぶれで、バカテクに決まっているのだが、それでも何となく 超絶技巧というより 音楽性重視というイメージが、俺の中で定着していた。 バカテクというと もっとデイブ・ウェックル(ds) とか、そういうイメージだったのだ。  リチャード・ティーなど、ひと目見れば誰も真似できない とてつもないプレイヤーである事は明らかだ。 しかし彼らは目立った個人プレイを嫌い、いい音楽を創る為には率先して裏方に回るタイプの真のミュージシャン達で、そこが格好良かったのだ。 当時の俺にとっては神様のような存在だった。  その後、俺も多少なりとも修羅場をくぐりながら 20年の時を過ごした。 今思えばあの人たちは、懐かしい俺の叔父さんみたいな存在だ。 そのうちの何人かはもういない。 悲しい事だ。  そんな今 このDVDを観ると、それは叔父さんたちのまさに最高の時期の演奏であり、それが滅茶苦茶イケイケで格好良かった事が、俺はたまらなく嬉しかった。 あ〜、叔父さんたちイケイケだったんじゃ〜ん、みたいな。

それから最近、歌を聴くのが好きになってきた。 一番のお気に入りはポール・サイモンだが、サイモン&ガーファンクルなどのデュエットものも相当好きだ。 あの人たちが、あそこまで素晴らしい歌手だということを俺は知らなかった。 神としか言いようがない。  デュエットの意味も俺は理解していなかった。 ただ単に3度でハモったりしているだけかと思っていたが、歌いまわしから呼吸まで完璧に揃ってるのに、一人ひとりは全然違う個性を持った別人、みたいなのがとても素晴らしい。  そういうふうにオーケストラを聴いてみたら、オーケストラの意味が非常によく判る。 ユニゾンだろうがハーモニーだろうが、一人ひとり全然個性の違うヴォイスが 一本一本独立してこっちに向かって飛んでくる。 全くシンセサイザーとは違うもの、それがオーケストラだ。 なるほど、と思った。

そんなふうにして、暇に任せて楽しく音楽を勉強している。

[“ EDITOR ”'s ROOM ]
レコーディングのこと・・・機材の老朽化と反比例(?)するがごとく、腕は上がってきている(自己採点)。 演奏するミュージシャンからも、気に入っていただいている、 ライブレコーディングの一発録り。 この“ノウハウ”を残すにはどうしたらよいか・・悩む 今日この頃です。



2011.06.29  [もう俺たち4人は、カンパニーだった・・・]
6月28日
NYからこっち、やっぱり演奏が良くなった。 行く前から取り組んでいた事が出来るようになった時期が重なったりしたのもあるが、今回のNY研修は間違いなく収穫が大きかった。 音楽をやる上での優先順位が変わってきたように思うし、ピアノも上手くなった。
いくつかの点では、意識的に大きくやり方も変えた。  例えばソロ中の左手。 以前は右手でやっている事に対して、フィジカルな意味で機能的に左手を絡めていく方法を取っていて、そのサウンドが気に入ってもいたのだが、今はよりシンプルに、しかしもう1人の別の人間が左手パートを請け負っているかのようなやり方で演奏している。こっちの方が音楽に推進力を生み出すし、フィジカルな意味での両手のバランスもいい。 結果、以前よりずっと楽に演奏できるようになって、はじめから音楽に入り込めるようになった。ピアノもずっと鳴る。

そんな中、フィンランドの 二クラス・ウィンター(gt) が来日して、何やら別方面でギグをやりつつも、その合間に有桂(vo) とのレコーディングに向けてリハ。  歌とピアノとギターという変則的な編成でのレコーディングであり、この3人で何度かライブをやった事があったが、実際にどんなサウンドのどんなアルバムになるのか、結局彼が来るまで想像がつかない状況だった。 歌とピアノとか、ピアノとギターなどのデュオだったら 役割分担的に遥かに楽だ。 歌とピアノとギターというのが難しい。

しかし、思った以上にニクラスがアイデアを沢山出し、精力的にリハーサルに参加したので、一回のリハで一気に全体像が見えてきた。 俺は、ちょっとしたアレンジをいくつか急いで書き足した。

その後、このメンバーでライブやパーティーをしながら、お馴染みのスタジオdedeで録音。 これまた、初日は性懲りもなくドツボに嵌まったりしながらも、丸二日間夜中までかけてバックトラックを完成させた。 みんな、本当によく頑張った。
深夜2時過ぎまで誠心誠意やってくれたエンジニアの松下君に感謝である。

それから一緒にNYへ行った弟子の佐々木君がレコーディングの全ての工程に参加し、最初は遊びに来る程度の話だったのが、結果的にメンバーを心理的にサポートしてスタジオのムード作りに貢献してくれた。 彼の仕事は大きかったと思う。 実際、有桂さんは佐々木君に大幅の信頼を寄せるようになり、今回のレコーディングを通じて二人は大分仲良くなった。 これは俺には微笑ましい光景だった。  思えば彼は、俺が有桂さんと行った上海にも同行している。 二クラスとも、何度もパーティーした仲だ。

翌日、メンバーと佐々木君で池袋で焼肉屋で打ち上げした。 まあ、まだボーカル・ダビングとトラック・ダウン、マスタリングが残っているが、全体のフレームが出来上がった事は大きいし、二クラスはじき帰国するからだ。
もう俺たち4人は、カンパニーだった。 俺と有桂さんも、ずっと親密になった気がする。
佐々木君は翌日仕事だからちょっとだけ早めに帰り、残った3人は終電までバーで楽しんだ。  皆で別れて、俺は山手線で品川乗り換えの予定。 が、しかし! はっと気付いたら事もあろうに神田だった! レコーディングの疲れで寝過ごした!
俺は、一回よろよろとホームに降りて、寝ぼけながら、一体これはどうしたものか、と考えたが、もう今日は家に帰れない、という事だけはすぐに判った。 ちょうどその時、“池袋行き最終電車、ドアが閉まりま〜す!”というアナウンス! 野生の勘でとっさにもう一度乗り込んだ。 二クラスが池袋のホテルに滞在している事をおもいだしたのだ。

即、二クラスに電話。 出た。 起きてるか? と聞くと、起きてる、との返事。 よっしゃ、今から行くからどこのホテルか言え! 俺は有無を言わせぬ勢いで奴のホテルに押しかけた。 有無を言わせぬ勢い、この場合、それこそが最も大事だったのだ。  奴は、温かく俺を迎え入れてくれた。 この俺のひどい有様に、二人で大笑いして、そのまま奴の部屋で朝までパーティー。 二クラス・ウィンターは飲んだくれだが、パーティー・ガイとしてはある種のカッコよさを持った男だ。 最高に楽しかった。

二人で一通り録音をプレイバックした。 まともに聴き直すのは初めてだったが、一番最初に想像していたより遥かにいい出来だった。 歌とピアノとギターのアルバムってどういうアルバムだろう、という期待を裏切らない内容だと思うし、面白いと思った。 俺ならその編成だったら、こういうアルバムを聴きたいと思う。 二クラスも、満足していた。

今日現在、まだボーカル・ダビングが完了していないが、今週中にすべての工程が終わる。 有桂さんも相当気合入れてるし、いいアルバムが出来上がると思う。

[“ EDITOR ”'s ROOM ]
毎週のようにLiveレコーディングして**年になるが、またまた 緊急事態。  だましだましうごかしてきたが、レコーダーがもうだめだ・・!  もともと、2台 別系統で録るのが基本でいたが、機材の老朽化と 長引く資金難で 現在は やむなく1台での録り。 それなのに・・・・・



  ☆『NY研修旅行2011』☆
   



2011.05.31  [NY研修旅行]
NY研修旅行_1
2011年4月27日
11年ぶりにNYに行く。 原発の影響で飛行機が何回も変更になり、 当初羽田から行けるのを楽しみにしていたが、結局成田から。  最近ちょっと弛んでて空港到着が離陸2時間前を切る事が多かったが、やっぱり込んでて、両替や保険やエア枕買ったりしてたらぎりぎりになり、ちょっと焦った。

デトロイトに到着して、普通に荷物を受け取って乗り換えようとすると、もう荷物のチェックインが間に合わないから次の飛行機まで5時間待てとか言い出した。 いきなりアメリカの洗礼。 最近忙しかったし NY旅行に対して何の心の準備もなかった俺は、いきなり目を覚まさせられた。 結局、空港のレディが もうちょっと早い便を都合してくれて、2時間待ちぐらいで済む事になったのだが、 今度はこの便が遅れた。 全てに関して何が原因でこうなったのか全く判らない。 結局夕方5時に空港に着くはずがNYラガーディア空港に到着したのは夜10時過ぎ。  アパートメントホテルの管理人に帰られたらとんでもない事になるので、何回も電話して引き止める。 まだ空港がマンハッタンから近いラガーディアだったことが不幸中の幸いだった。  管理人にチップを多く払って、とりあえず無事チェックイン。 げっそりしたが、この、初日が無駄になったのに腹がたったので、何が何でもジャムセッションぐらい行ってやろうと思って、タクシーでスモールズへ。 ジャズを聴くとやっぱり落ち着く。  ライブを聴いてセッションに参加して、終わるとファットキャットに移動して、またセッションして朝帰った。 何か、ブランフォードの弟子だとかいう 若者連中と仲良くなった。


2011年4月28日
若い時はずっと起きていて然るべき時間に寝れば、そこから一日を始める事ができ、苦もなく時差に対応出来ていたが、ここ10年でそれが全く効かなくなった。 寝不足で究極疲れているのに4時間ぐらい寝ると目が覚める。  とにかく体調の悪い中、ブルーノートのジェームズ・カーター(ts)を聴きに行く。 ジェームズ・カーター、昔から謎だったが生で聴いてもやっぱり謎だった。 ふしぶしにこの人滅茶苦茶上手いな、というのを垣間見せるものの、やっぱりイマイチ俺にはピンと来ない。 必ず盛り上がっていつものブリブリ状態になり、それはいいのだが、そこに持って行く過程がよく判らない。 ジェームズ・ブラッド・ウルマー(gt,vo)とニコラス・ペイトン(tp)は良かった。

それからスモールズまで歩いて、サーシャ・ペリー(pf)を聴きに行く。
サーシャはそんなに有名ではないが、スモールズにいる相当変わった男で、NYでは知る人ぞ知るミュージシャンだ。  11年前にも見たのだが、彼はバリー・ハリスの弟子で、バリー・ハリスをより端整にした感じで弾いていた。  彼は人とマトモにコミュニケーションしないというか、端的に言えば馬鹿野郎で、 しょっちゅうトラブルを起こすらしい。 俺が見たのはジャムセッションで、オルガンと一緒に演奏していたのだが、サーシャは構わずピアノでベースラインを弾きだし、 オルガンが「おい、サーシャ! オルガンがベース弾くんだから止めろよ。」 と言い続けたにも拘らず完全に無視してやり続け、しまいにオルガンが「馬鹿らしくてやってられねえ!」とキレて帰り、ジャムセッションが霧散した事件があった。  俺の友人で、極めて温厚なジェームス・マホーン(ts)も彼を殴りそうになったと言うし、こんなのは事件じゃないんだろう、彼の人生においては。  しかしまあ、あのスタイルでは滅茶苦茶上手いし、俺は前回一緒に連弾したりして遊んでもらったので、悪感情はなく、あれからどうなったか見てみたかった。 面白いし。

そしたら、また事件が起こった! 彼は期待を裏切らない男だ。
いきなりMCはフランス語だし、バリー・ハリスみたいなフレーズは影を潜め、ずっとセロニアス・モンクのコピーみたいな事をやり続け、しかも上手い割にはモンクみたいに良くないから盛り下がる、盛り下がる。  盛り下がっても全く気にする様子はなく、チロチロやってはひじ打ち、みたいなのを繰り返し1ステージにも 2ステージにもエピストロフィーやったり、1曲目と3曲目がBbの循環だったりと意味不明なことを繰り返し、3ステージ目にトランペットとサックスがシットインしたのだが、そのバッキングの途中で突然立ち上がって歩き出し、 よろよろして最前列の座席に突っ込んで、置いてあったサックスのケースを落とし、ソーリーでもなくフラフラと後ろに行ってはまた戻り、ピアノの前でまた何度も転びそうになり、こりゃ駄目だとみたトランペットが即座にメンバー紹介して、 3曲でライブが打ち切りになった。 シットインしたトランペッターがメンバー紹介だ。 相当面白かったとしか言いようがない。 11年経っても全く精神的に成長してる感じがないところが素晴らしい。 しかも何故か、俺は帰ったらモンクのヴォイシングやろうと思った、あれを見て(笑)。 サーシャ・ペリー、恐るべし!


2011.05.31  [NY研修旅行]
NY研修旅行_2
2011年4月28日 深夜
サーシャが終わって次のバンドを見ていたら、突然横にロイ・ハーグローブ(tp)が座った! 昔からよく、ジャムセッションにロイがふらりと現れるとか、伝説のように言われていたが、遂に遭遇出来た訳だ。  それにしても、サーシャもすごいけどロイもすごい。 上下水色のアディダスのジャージに木のロザリオ。 靴もアディダスでリュックサックのようにラッパを背負い、水も飲まず、誰とも話さずに目をつぶって音楽に聞き入っている。 時々目を開けてイエーとか言うのだが、その目が、完全にキマッている!! 思ったよりだいぶ小さいし、全く鍛えていないのか、胸とか肩とか相当貧弱だ。  そしてバンド。 昨日から何だか、俺が全く知らないようなバップチューンを延々やるのだが、ロイはそれを全部知ってるようで、時々歌ったりしている。 あれ、どこら辺を攻めてるのか教えてもらいたいものだ。 そんな曲ばかりジャムセッションでやらされるものだから、調子悪くてしょうがない。  ロイ・ハーグローブ、そんな調子で結構沢山吹いたが、それがやたら素晴らしかった! 柔らかくて表現豊かだし格好いいし、それは期待以上のものだった。  あんなに早いうちからスターだったのに、ずっと進歩を続けてるのだから偉い。 様子を見ていても、音楽以外には全く興味がないという感じで、相当ストイックな印象だ、キマッている以外は。 でも、やはり相当キマッているし、誰も話しかけない。 話しかけちゃいけない事が暗黙の了解になっているかのようだ。 あのジャージも今流行っているらしいのだが、あの着こなしは果たしていかがなものか、と思った。 やっぱりキマり過ぎてああなっちゃうのだろうか。 まあひと目でマトモじゃない感じであの演奏という意味では、結構格好いいかもしれない。

それから、またすごい人が来た。 これまた怪しい雰囲気のおじさんが、また俺の隣に座った。 一瞬ホームレスが店に入ってきたのかと思った。  そのおじさんが、「身内を亡くした。 彼にささげる曲を演奏させてくれ。」という。 あら〜、と思って様子を見ていると、彼はピアノで弾き語りを始めた。 そしたら、それがとてつもなく凄かった!! ピアノなんか馬鹿うまで、フォルテシモからピアニシモまでその全ての音が誰も適わないぐらい鳴りまくっている。 歌も凄くて、何か難しい曲をルバートで演奏しているのだが、もう泣きながら歌っており、それ以上に演奏が やばすぎるものだから、みんな号泣状態。 俺も、相当じーんと来た。 終わるとスタンディングオベーションの嵐。 ご家族を亡くされたのだからお悔やみを申し上げるべきところだが、やたら演奏が素晴らしすぎてそっちばかり気になってしまった。  彼はジョニー・オニールという。 それほど有名ではないのだけれど、かつてはアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズにも参加していたツワモノで、あの映画“RAY”にアート・テイタム役で出演していたらしい。 この何年かでデトロイトからNYに越してきたらしく、今まさに、NYのレジェンドといえる存在のようだ。

そんな風にして、いきなり最高潮で二日目終了。


2011.05.31  [NY研修旅行]
NY研修旅行_3
2011年4月29日
この日、弟子の佐々木君が合流。 俺たちが今回滞在したのはレキシントンアベニューの25thと26thの間。  3日目を迎えて生活のリズムが少し掴めた。 近所でポパイというフライドチキンのチェーン店で食べたら激マズ。 また、NYの洗礼を受けたがこれは覚悟の上。  俺は洗濯したり、ジムを見つけて行ったりした。 前回のジムはゴキゲンだったが、今回はハズレ。 アパートの管理人のカールが、「ニューヨーカーはみんなフリーウェイト(バーベル、ダンベル)をやるからどこに行っても大丈夫だよ。」というから 適当に決めたが、全然駄目。 フリーウェイトはあるにはあるがプレートが少ないし、ベンチ台も調節が効かないしょぼいやつだし、フルスクワットすると深くしゃがんだところで鏡が切れて深さが確認できないし、全然判ってないとしか言いようがない。しかし、近くにあるのはそのジムだったし、旅の目的を完全に音楽にフォーカスしていたから、歩いて行けるそのジムで我慢することにした。

夜はイリディウムでピーウィーエリス4を聴く。 この演奏には多大な影響を受けた。 ピーウィーエリスというとJBとかチキンとかいうイメージだが、この日はカルテットでスタンダードジャズを演奏。  一曲目のB♭のブルースから滅茶苦茶盛り上がった。 俺は特に、ドラムのルイス・ナッシュの仕事振りに感心した。 どんな体勢からでも自在にジャズ節でキメて来る。 サックスが少し長いフレーズを吹いたらその間には必ず湯水の如く沸き起こるアイデアを自分から叩き出し、フレーズがどこで終わろうと自在のジャズ節に繋げて歌い上げる。  ただ歌い上げるだけじゃなく、もう一発二発続きを咬ましてどんどんバンドをスイングさせる。 しかもベースのクリスチャン・マクブライドとピアノのラリー・ウィリス(この人知らなかったが、超ゴキゲンなベテランピアニストだった)の三者共に息がピッタリで、とにかくビシビシキマりまくり、ピーウィーがそれに完全に乗っかってサーフィンしまくっている。 最高に楽しい音楽だ。  スタンダードのギグで、完全に自分達の音楽を表現していく様に、ジャズの奥深さを改めて感じたし、俺もこういう風にやりたいと強く思った。 燃えた。

その後は、百々徹(どどとおる)君の演奏するエニウェイカフェに行く予定だったが、佐々木君が靴を見たいというのでタイムズスクエアに付き合い、更にハーレムで野暮用を済ませたので、少し遅くなった。 ドド君はNYに長く住むピアニストで、NYに行くなら彼を訪ねろというぐらい NYの顔的存在だ。 俺は、まだ彼がバークリーに留学する前からの友達で、その頃から彼は激うまだった。 それから20年弱、彼はアメリカで、俺はジャパンで頑張ってきたが、その間 彼はその才能を容赦なく開花させ、大いに俺を凹ませたものだ。

エニウェイカフェはカジュアルなバーだ。 ボーカルの兄ちゃんとデュオのライブを聴いていると、横に座っていた酔っ払った女の子がシットインして歌いだした。 ボーカリストじゃない単なる酔っ払いで、しかも何曲も歌ったから俺はイライラした。 そんな女をステージに上げる調子のいいボーカルにもイライラしたが、ドド君は、全然付き合っている。 俺だったらちょっとバッドになるところだ。 まあ、いろいろあるんだろう。

久しぶりに会う彼は若々しく、昔と変わらぬナイスガイだった。 彼は親切にも、俺達を車で送ってくれた。 どうしたらこんないい奴のままでいられるのだろうか。


2011.06.01  [NY研修旅行]
NY研修旅行_4
2011年4月30日
ジムから帰って爆睡している佐々木君を起こし、ハーレムを散策。 それからレノックス・ラウンジでグレッグ・バンディ(ds)のグループを見る。 このライブも最高で、やはり多大な影響を受けた。 やっぱりスタンダードのライブで、やってるのはよく知ってる曲ばかり。昨日のルイス・ナッシュほどどこからでも自由自在にキメる訳ではないが、音楽上の“話”に説得力があっていちいち納得させられてしまう。 ドラムなんかファンキーで、まるでフィリー・ジョーだ。 ビシバシにキマる。  俺はこのライブを観て、ミュージシャンはファンキーじゃなくてはならず、そのためにはファンキーな人間にならなければならない。 一見ファンキーに見えても、陰で弱いものいじめをしてたりしたら、それはファンキーじゃない。 あらゆる点でファンキーであるためには、ある意味で人格の完成が要求される。 それから何よりも、遊ばなくちゃいけない。遊びを知らずにフィリー・ジョーみたいに叩ける訳ないのだから、みたいな途方もない事を、真剣に考えた。 ちょっと子供じみて聞こえるかもしれないが、少なくとも今の俺には、これらは重要な考えだ。

その後、バスでスモークに行こうかと思ったら2ドルを紙幣で払うことが出来ないという。クオーターコインを8枚だか両替して用意しろと。 誰がそんなもの持っているのか。 みんな持っているのだ。コインランドリーをまわすには11枚要る。 ジムのプレートはポンドで判りづらいし、地下鉄も理解しがたいルールが多く、NYも改善すべき点が多いようだ。俺のために。

しょうがないからタクシーでスモークに行き、ビンセント・ハーリング(as)5を聴いた。  ビンセント、最近どうしてるのかと思っていたが相変わらずの兄貴振りで、若手ミュージシャンが沢山聴きに集まっていた。 演奏は、まあスモールズのハード・バップ・フリーク達の親玉みたいな感じで、音楽自体にそれほど感動する感じでもなかったのだが、やっぱりみんな激うまで、特にクリス・バワーズというピアノの若者がやばかった。 こっちが何十年も掛かって出来ない事を何であんなに淀みなくこなせるんだろう。 彼は、相当メジャーになってくるだろう。 俺が若い頃は、ピアノは白人、ユダヤ人が上手いというのがよく言われていたが、それはもう昔の話みたいで、クリス・バワーズをはじめ、今回沢山の黒人若手激うまピアノに出くわした。 その中でもクリス氏は相当強力だったと言えるだろう。

次のバンド、深夜の部は何と、あのジョニー・オニール(pf,vo)だった!  佐々木君に散々話をしていたから、彼に見せられて良かった。 演奏は期待を裏切らない素晴らしさ。 とにかく音の“立ち”が違う。 ストライド・ピアノだってアート・テイタム並だ。 アート・テイタム並だなんて感じたピアニストは、オスカー・ピーターソンを含めてほんの数人しかいない。  逆に俺は、その上手さが気になってきた。  あまりにも上手すぎるから、インスピレーションにまかせてスピーディーに楽想を変化させすぎてしまう。 周りはそのコロコロめまぐるしく変化する楽想に付いて行く事に一生懸命にならざるを得ず、結果、ジョニーのオン・ステージ的な印象を与えてしまうのだ。  例えば前述のオスカー・ピーターソンだって、やっぱりオン・ステージ的だったのではないか。ある意味で、対等なやり取りの中から生まれるミラクルをジャズに期待する人には、この上手さは仇になる場合があるような気がした。  例えばパット・メセニー。 メセニー・グループはパットのオン・ステージだが、それ以外のジャズのセッションでは、かなりのインタープレイを見せる。 サイドメンも結構やる。パット・メセニーみたいな人は、その意味で理想的といえるかもしれない。


2011.06.01  [NY研修旅行]
NY研修旅行_5
2011年5月1日
ブルーノートのサンデー・ブランチ・ギグを見る。
レニー・ピケット(ts)と学生さんバンド。 学生ったってどうせ上手いに決まってるから、心配はしなかった。 レニー・ピケットはその昔、俺がリチャード・ティー(pf,kb) とかスティーブ・ガッド(ds)みたいな音楽に嵌まっていた頃に、よくメンバーとして名前が出てきた。 ピケット氏本人についてよくは知らなかったが、彼の参加するCDは結構持っている。
演奏を聴いたら、もう超聴き覚えあるサウンド! それは俺がよく知る演奏で、昔と変わらぬ懐かしいサウンドであり、しかもめちゃめちゃハートに来た。 俺はもう、本当に嬉しかった。  学生さんたちも、ビビる程ではなかったがよかった。 パーカッションの姉ちゃん、イケてたが存在感薄く、あれは誰かの女なのだろうか、なんて思ってしまった。 大きなお世話である。

それからダウンタウンを散策して次の目的地、カフェロープへ。 カフェロープでは毎週日曜、何とあのジュニア・マンス(pf)が 日本人のベーシスト、ヒデ田中さんとデュオで演奏している。 巨人の、ホームNYでの日常的な演奏というのを、是非見てみたかったところであるが、大変残念な事に この日はジュニアさんじゃない事が判明。 仕方ないので、とりあえずアパートに帰る。

ちょっと休憩してからコロンブスサークルのディジー・クラブへ。
コロンブスサークルは11年前に1ヶ月ほど滞在した想い出の場所である。 駅前の雰囲気、懐かしかったが、11年前には ジャズ・アット・リンカーン・センターとか ディジー・クラブとかはなかった。 だいたいあの頃は地下鉄が1ドル50だったのに、今は2ドル50だ! 最初は、目を疑った。  ディジー・クラブに入ると 俺と佐々木君は、ちょっと安めのバー・カウンター席に座った。 本日のライブは“Duduka Da Fonseca & Helio Alves Samba Jazz and the Music of Jobimw/Special Guest Toninho Horta”。  NYはブラジリアン・ミュージックとかラテン音楽も凄いイメージがあるし、何といってもトニーニョ・オルタには憧れがあった。 しかし!正直言ってこのライブはイマイチだったと言わざるを得ない。 とにかく全然ストーリーが伝わってこない。 ミュージシャンが出たり入ったりする演出もイマイチ意味が判らない。 何といってもトニーニョ大巨匠が 全然説得力ないし、それどころか顔とか振る舞いとか、何だかムカつく。 残念であった。 そんな中、ヴォーカルの Maucha Adnet とフリューゲルホーンの Claudio Roditi は素晴らしかった。 結局、音楽家として彼らが一番優れていたという事なのだろうか。

その後、ファット・キャットのジャムセッションに行ったが、異常に疲れてきたので比較的早めに退散。 佐々木君は俺のようにジャズしか興味がないのではなく、アメリカとかNYが大好きで、昼間も出来る限りいろんな事がしたいタイプだ。 俺もまあそれならそれで、彼に付き合う事もやぶさかではない。 したがって、毎日 朝4時5時までジャムセッション・プレイスにいる訳には行かないのだ。



2011.06.01  [NY研修旅行]
NY研修旅行_6
2011年5月2日
佐々木君のハーレム散歩に付き合う。 奴は純粋な黒人だからハーレムが大好きだ。 連中のファッションを知り抜いていて、渋谷の黒人服屋の店長達とは友達だし、彼とハーレムを歩けば無敵である。 しかし奴は若いので、たまにやる事が無謀だ。 そこだけ注意すれば、後は快適だ。

夜はジャズ・スタンダードでミンガス・ビッグバンド。 NYでは月曜にビッグバンドのライブをやる店が多く、これもやたら俺の興味をそそった。 ジャズ・スタンダードは有名な店だが、アパートから徒歩2、3分の近さにあるのを、ジムに行く途中に発見した。
ミンガス・ビッグバンド、かなり良かった。俺の知らない曲も結構演奏していた。 このバンド、局面ごとにコンダクターが変わる。 計5、6人のミュージシャンがオーケストラに向かって要所要所で指揮をした。 これは「このバンドのリーダーはあくまでチャールス・ミンガスであり、彼がいないからといってそれは変わらない。 俺達は全員がミンガスの音楽をよく理解しているから、メンバーの誰もが必要に応じてコンダクターになれるのだ。」という事に思えて、俺にそこにまず熱くなった。  そしてその熱くなった俺に対して「ところで、どの人がチャールス・ミンガスですか。」と佐々木君。 何故か、一瞬気分が和らいだ。
ピアノのオリン・エヴァンス、バッキング あまりにも効果的だった。 ソロもクリエイティブだし、ヤバイとしか言いようがない。 サックスのエイブラハム・バートン、最後に一回だけ取ったソロが凄かった。 このレベルのメンバーでビッグバンド組んでるんだから、そりゃあ凄いに決まっている。 一番目立っていたトロンボーンのおじさん、素晴らしいスピード感だった。
ここで、俺達は滞在中唯一のちょっとした贅沢をした。 店自慢のスペアリブを食べたのである。 メンフィス、テキサス、カンザスの3種類盛り合わせ。 途中何か、ベビーバックとか言われたからうわっ、子牛か、可哀相だな〜なんて一瞬気が散ったが 勿論バリバリ食べた。 言うまでもなく最高。  11年前来たときは、NYには美味いものなんて存在しない、ぐらいに思ったが、ハンバーガーは間違いなく美味いし、こういった、肉にスパイスかけて焼く、とかいった類の料理はかなり美味いと思った。 少なくとも、アメリカ人の味覚は劣る、という従来のイメージは完全に払拭された。

その後、ビレッジ・バンガードに移動してバンガード・オーケストラを聴く。 ビッグバンド尽くしである。  ミンガス・ビッグバンドがリーダー不在なのに対し、こちらはれっきとしたベテランのバンマスが率いる感じ。 まさに、バンマスという言葉がぴったりの雰囲気。 俺としてはもっと、後期ギル・エヴァンスとか、ボブ・ミンツァーなんかを想像していたのだが、それに較べると だいぶストリクトなサウンドで、それはいいのだが 俺は猛烈に眠たくなってきた。  NYに来て以来、日本にいる平常時ほど体調が回復した事はない。 常に寝不足気味だし、ちょっと冷えるとすぐ風邪っぽくなる。 部屋とか環境も、悪くはないのだが良くはない。 エアコンの調節も難しいし、どんなに寒くても暖房は入らない。 おまけにこのバンガードは寒い風がダイレクトに当たったりして体調悪い事限りない。 駄目だ、起きてられなかった。そんな訳で、このライブの感想は言えません。

その後、スモールズのライブ&ジャムセッションに行ったのだが、スモールズも寒くて、最悪の感じになってきたので退散した。


2011.06.02  [NY研修旅行]
NY研修旅行_7
2011年5月3日
前日よく寝たから、体調は大幅に回復。 佐々木君と再びハーレムへ。
彼が渋谷の店長達から仕入れた情報を元に、NYストリート系ファッションの最先端の店巡り。 俺はカジュアルな服を一応上下一式揃えようと思っていたから、結構モチベーション高かった。  欲しかった革ジャンが激安で売っていて、一瞬ぐらっと来たが、大して暖かくないと聞いて 一発で止めた。 佐々木君オススメのちょっと高めのジーンズを買った。 結構色が落ちてたり、穴が空いてたりするやつで、これは気に入った。 それからVネックのTシャツを6枚と薄手のパーカー、 派手なベルトを買った。  本当はもっといろいろ欲しかったが、ライブハウス巡りとジムと洗濯をしたら、 その余裕はもうなかった。 スーツや派手なシャツなんかも欲しかったが、ダウンタウンで見たらめちゃ高かった。 なんか、以前よりNYの物価が上がった感じ。 11年前は東京と同じか、少し安いぐらいの印象だったのに、今は安い感じは全くしない。 むしろ、東京より高いイメージだ。 日本が安くなったのだろうか。

夜はイリディウムで「Aimee Allen Quartet -- CD Release with Special Guest Victor Prieto」。 ピアノはドド君だ。
素晴らしいミュージシャンが揃っていたし、ライブはそれなりに格好良かったが、イマイチ ディレクションがよくない。 ミュージシャンが出たり入ったりするのもあまり効果的な感じではなく、ときどき見せる各自の個人技を楽しむ感じ。 ドラマーなんかもイマイチお仕事モードで叩いていて、俺には全く理解できなかった、彼の考えている事が。  そんな中では、ドド君はやっぱりよかった。 バラードなんか、すごく進化していたし。  結論からいって、このバンドはドド君に仕切らせるべきだと、俺は思った。 そうすれば、全ての問題が一発で解決するだろう。  ただし、ボーカルのエイミー・アレン嬢は、結構可愛かった。 佐々木君も、そこにやたら満足していた。 俺たちのような客が、彼女のようなミュージシャンをダメにしている感は否めないが、知った事ではない。 客で来たときぐらい、好きに楽しむのだ。

その後、スモールズへ。 スモールズに出てるバンドは、有名じゃなくてもみんな上手いし、楽しめないなんて事はまずない。 ビッグネームもバンバン演奏していて、値段もリーズナブルだから、有名クラブを見たらスモールズに流れるというパターンがベストな感じがした。 普通の観光客の人にも勧められるコースだ。 ただ、スモールズは歌のバンドはあまりない。

本日のライブ、「The Lage Lund Group: Live Recording for SmallsLIVE」。 マーク・ターナーとかカート・ローゼンウィンケルみたいなサウンドで、ドラマーは確かマーカス・ギルモア。 結構、よかった。  「After-hours Jam Session Hosted by Ken Fowser & Behn Gillece」。 佐々木君絶賛。 いかにも良さそうだったが、俺は爆睡。 ちょっと疲れまくりだ。


2011.06.02  [NY研修旅行]
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2011年5月4日
ブルーノートで「Omar Sosa Afri-Lectric Quintet with special guest Lionel Loueke」を聴く。  メンバーは、
Omar Sosa, piano - keyboards/electronics/vocals
Marque Gilmore - drums/electronics/vocals
Childo Tomas - electric bass/m’bira/vocals
Peter Apfelbaum - saxophones/flutes/percussion
Joo Kraus - trumpet/flugelhorn/electronics/vocals
Lionel Loueke - guitar。
このライブ、よかった。 アフリカ人のエレベが凄く、みんなのやり取りが最高。 トランペットも他人のソロの時に自分の判断で突然シンセサイザーで変な音を入れてきたり、判ってる度がハンパない。  “出すぎた真似はしない、自己主張しすぎて嫌われないように気をつける”といった態度とは無縁でいながら、絶対にひとり間違った方向には行かない。 やっぱり、ひとりひとりの力量が凄いし、みんなが起こっていることに対して敏感で、それを共有しているのだ。
リオネル・ルエケ(gt)、さすがに素晴らしかった。 間近で見れて、よかった。ただ、今までアフリカ人ベースが素晴らしいインタープレイを見せていたのに、リオネルが入った事で居場所が少なくなり、縦横無尽な素晴らしいプレイが大分抑えられた。 それが残念だった。確かにリオネルは見たかったが、リオネル抜きのこのバンドを、もっと見ていたかった。 オマール・ソーサ、プレイは結構よかったが、また何だか顔がムカついた。プレイしている時の喜び方が。やたらみんなアフリカの民族衣装を着ているのもイライラした。ウソつけ、普段もっと普通の服で生活してるだろ、みたいな。
でも、最高のバンドだったといっていいだろう。

その後、ファットキャットを覗いて帰宅。


2011.06.04  [NY研修旅行]
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2011年5月5日
昼間、ドド君と食事。 わざわざ送り迎えしてくれて、ホントにいい奴である。
チャイナタウンに連れてってもらって飲茶する。 「ここは結婚式場みたいな雰囲気で笑えるよね。」 と彼が言ったその店は、中国に良くある典型的なレストラン。 上海そのままの雰囲気だ。 NYに来て暫く経った今、めちゃくちゃ食べたかった料理であり、超美味かった。
その後、イタリア街でティラミス&エスプレッソ。 ドド君と佐々木君の、お互いに共通する意外な趣味の話に花を咲かせたりしながら、ピースフルな時間を過ごす。  ドド君は日本に来ている時は忙しいから、会ってもそんなにゆっくりは話せない。 ゆっくり話したのは11年ぶりだったし、彼は相当活躍しているものの、俺にとってはやっぱり同世代のピアノ仲間、友人であり、ライバルである。 お互いの11年をそれとなく話しながら、最後はお互い頑張ろう、みたいな感じで別れた。 40になったから味わえる、実にすがすがしいひと時だった。

夜はアパート近くのジャズ・スタンダードで「Azar Lawrence Quintet」を観る。 メンバーは
Azar Lawrence -- tenor saxophone
Jeremy Pelt -- trumpet
Benito Gonzalez -- piano
Essiet Okon Essiet -- bass
Billy Hart -- drums
トランペットのジェレミーは友人にバークリーの同窓も多い若手で、11年前にはまさにこれからメジャーデビューという勢いのホープだった。 ピアノのクレイジー・サーシャ同様、この11年でどう変わったのか見てみたかった。
バンドはコルトレーン・スタイルで、そこそこ良かった感じ。 ジェレミーは中ではよかったが、思ったほどではない。 何しろ昔は、ウィントン・マルサリスを追い越す勢いに見えたのだから。 ただし、ビリー・ハートは素晴らしかった。 とにかくストロングなオレ節で叩きまくる。 あの歳にして、丸くなるなんて一切無縁だ。  何か、ミュージシャンだけじゃなく、特に黒人系でイケイケの親父が結構いた。 ハーレムで革ジャンを選んでいた親父も、もう60近い感じなのにめちゃめちゃイケイケで、ギャングスターみたいな格好をしていた。 俺も、完全にあの路線で行こうと思う。 日本人の先輩たちも、もっと身体を鍛えてイケイケにやればいいと思う。

その後はスモークに行って、佐々木君リクエストのノーカバーライブ「Jazz meets Hip-Hop」を観る。 タワー・オブ・パワー・スタイルのバンドにラップが入った感じ。 しかし彼は不満足だったようだ。 俺は、これはこれでありかと思った。  だいたい、ラッパーは途中からフィーチャーされて期待を持って迎えられる。 特異な目で見られる面もあるし、サウンドチェックも非常に重要な割には 厳しい環境でいきなり やらされている場面を 多く目にする。 そもそもラップで盛り上げるのは かなりパフォーマンス良くないと難しいと思うし、相当プレッシャーを感じる職業だと思う。 それだけでもリスペクトだから、俺はラッパーは優しい目で見ているのだ。


2011.06.04  [NY研修旅行]
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2011年5月6日
モダンアート・ミュージアムMOMAへ行った。
ベースのアンディから強く勧められたからだ。 ところが! 俺は連日ライブを鑑賞していて、何を観ているかと言えばアンサンブルであり、生きた音楽そのものである。 バンドひとつごとに呼吸が違うし、毎回その新しい呼吸、コンセプトに慣れてバンドの中に入った感じで聴こうとしている。 それで精神的に疲労困憊しているのだった。
その俺が MOMA に行くとどうなるか。 はっきりいって俺はもう勘弁してもらいたかった。 限界だったのだ。  ライブ鑑賞に目的を限定して全精力を注いでいる俺には、MOMA の偉大な芸術に対して更にそれをやる体力はもはや残っておらず、身体が拒否反応を示した。 それは毎日マラソンのためにハードなトレーニングをしている人間が、空いた時間にバスケットボールを本気でやるようなものだった。  当然、MOMA など本気で観ないと判る訳がない。 特に 後期ピカソを観ている時、俺はどん底に落ちた。 全く意味が判らない。 何が書いてあるかすら判らない。 というより考えたくない。  どうせなら 自由の女神か野球でも観ればよかった。  俺の MOMA 体験は、ハードなものになってしまった。

夜はビレッジ・バンガードで「GUILLERMO KLEIN Y LOS GAUCHOS」を観る。 相当マニアックなビッグバンド。 作曲、恐るべし! 一曲目など、あるモチーフをポリリズム的に何発も絡めて、3連系にシフトして速くしたり戻ったり、もはや解読不能。 このライブを観るには譜面が必要だ。  リーダーのピアニストもプレーヤーという感じではなく、もう完全に作曲家。 ここまで客の事なんか考えずに、自分の頭の中の世界を表現する事に専念したバンドはNYに来て初めてだ。 それを何日もブッキングするバンガードも素晴らしい。 日本じゃまず聴けなかっただろう。  影響は受けたが、作曲で彼に対抗しようとは思わなかった。 ちょっと無理である。

その後はスモークで「Myron Walden "Momentum"」
Myron Walden - alto saxophone
Darren Barrett - trumpet
Misha Tsiganov - piano
Yasushi Nakamura - bass
John Davis - drums
マイロンはブライアン・ブレイド・フェローシップで出てきた人気プレーヤー。 11年前にも観たプレイヤーだ。 さすがにこのライブは、結構良かった。  特にダレン・バレットとベースの中村恭史君が良かった。 このメンバーでバリバリに存在感を放ってくるなんて、中村君凄すぎである。  彼はNYの売れっ子ベーシストで、ドド君のトリオ・メンバーでもある。 シアトル育ちの、いわゆるジャズ・サラブレッドである。 音もビートもアンサンブルも、バッチリだった。 少し、話す。  ダレン・バレットもドド君とバークリーの同窓で、彼がメジャー・デビューを果たすきっかけになったデモテープはドド君が弾いている、とドド君が可愛らしく自慢したのを記憶している。 そんなダレン、最近はどうしてるのかと思ったらマジ持ってバリバリに素晴らしかったので、俺は感動した。 この旅ではロイ・ハーグローブとダレン・バレットが、2大グレート・トランペッターだった。 上手さではダレン。  しかし肝心のマイロン、俺は前の演奏の方が好きだった。 以前はマーク・ターナーを追っかけながらも自分のスタイルがある感じが未来的で好きだったが、今回はもっとハードにプレイしており、何というか、ある意味普通になった。 でも、楽しんだ。ダレン、最高。


2011.06.11  [NY研修旅行]
NY研修旅行_11
2011年5月7日
この日、サラリーマンである佐々木君が帰国。 昼、アパートの前で別れてジムに行く。 ジムに行きながらコインランドリーで洗濯を済ませ、夜のライブ会場のあるコロンブス・サークルへ。  コロンブス・サークルは、11年前に1ヶ月間滞在した想い出の場所だ。 佐々木君を連れて意味もなくそこをぶらつく事ははばかられたため、この日の昼間にこの地を再訪することは、俺にとってちょっと楽しみなイベントだった。
あの当時、観光ツアーしか経験した事のなかった俺にとって、そこは実質初めて経験する外国であり、街の汚さ、食事のまずさ、いらいらして冷たい人々、人種差別(これははっきり経験したわけではないが、人々の心の中にあるだろうな、とは思わせた。)などにウンザリしてしまった。  でも11年経って、俺も変わった。 人種差別なんか、したけりゃどうぞ、そっちの問題ですから、 ぐらいの感じになったのだから、30と40では大違いである。
まだ明るいうちにコロンブス・サークルを散策してみる。 街はそれほど変わっていないが、店が変わっている。 当時のアパートは警察署の目の前だったから判った。 変わってない。 目の前のスーパーが別の、もうちょっといいスーパーになっていた。 以前のスーパーは、暗くてイマイチだったから。  アパートから1ブロックの、通っていたジムだが、何と俺が日本で通っているゴールド・ジムになっていた。 ゴールド・ジムは NY ではあまり栄えていないらしく、マンハッタンでそこが唯一のゴールドだった。 以前のジムの頃からゴールド・ジム並みのいいジムだったから、恐らくそのまま買い取ったに近いだろう。 前は俳優のマット・ディランが来ていた。 今も来ているだろうか。  プロテインを買っていたサプリメント屋もあった。  しかし! 相当楽しみにしていたにも拘らず、それほどの感動はなく、すぐに時間をもて余してしまった。 懐かしくなかったんだろうか。

駅前のリンカーン・センターに戻り、ディジー・クラブへ。 ロン・カーター(b)やカール・アレン(ds)のカルテットを聴く。 Juilliard Jazz Quintet
w/Ron Carter, Rodney Jones, Frank Kimbrough, Carl Allen & Ron Blake  クレジットはこうだが、ロドニー・ジョーンズ(gt)はいなかった。  ディジー・クラブはいい店なのだが、この手のスモール・バンドを楽しむには広すぎる。 特に俺のように、一番後方のカウンター席から観ている人には、イマイチ伝わってこない。 真剣に目と耳を凝らして、ああ、こういう感じか〜、みたいな状況だ。  そこはイマイチだったが、このバンドは良かった。 ピアニストも、俺の知らないベテランだったが、相当素晴らしかった。  エンディングの逆順など、通常だったらサックスのロン・ブレイクが自分で持っていくところだが、このバンドは違う。 次は逆順で、はい、ここで終わり、みたいなのをすべてロン・カーターが出していた。 ロン・カーター恐るべし! ロン・ブレイクだって 相当有名なのに、、。 それにしてもロン・カーター、抜群に素晴らしく、ロン・カーター目当てで行った客は、バッチリ満足出来た事だろう。 ベースラインの面白さと、その合間にバンバン入るフレーズ、そして何より、その卓越したグルーヴ感は、ワン・アンド・オンリーだ。ロン・カーターは、ベーシストであることを超越してロン・カーターなのだ。 こんなに遠くても、それがバッチリ判った。

スモールズへ行ってやってるバンドを鑑賞。 そしたらラッキーな事に、11年前にジャムセッションで見て最高だったサックス・プレイヤーがやってた。 ジョー・フラム。 休みの日にビール飲みながら息子と野球観戦してる白人のおっさんにしか見えないが、相変わらず相当素晴らしい。 いい人そうだし。 井上陽介さんとやってたみたいだ。  バンマスはマーク・ソスキン(pf)。 ロリンズバンドにいた人だ。 ロリンズの“here to the people”は大好きなアルバムだったから、そのピアノが生で聴けて嬉しかったし、この面子でたまたま行った日にやってるんだから、スモールズはすごいクラブである。  セッションを少し楽しんで、チキンケバブとブドウを買って帰った。


2011.06.11  [NY研修旅行]
NY研修旅行_12
2011年5月8日
ジムに行ってダウンタウンのカフェ・ループへ。 先週見逃したジュニア・マンス(pf)を観るのだ。 しかし、普段行程は佐々木君任せだった俺は、現地でカフェの住所も名前も忘れてしまう。 仕方ないのでネットカフェに入り、ジュニア・マンスと入れてみると一発で出てきた。 難なく入場。  ジュニア・マンスはブルースの得意なジャズ・ピアニストとして名高いが、まさにこの点において、俺は彼の大ファンである。 ジュニア・マンスのように、自己紹介して語りかけるようにブルースが弾ける男に、俺はなりたい。
最近、ジャズをプレイするという事は、職業が何であるか、金持ちか貧乏かなど、社会的な事すべてを超越して、自分が何者であるかを表明する行為に思えてならない。それがヴォイスであり、俺たちはジャズを聴くとき、それを聴いている。  ジュニアさん、ちょっと話したが、いかにもいい人。 日本、大好きだと仰っていた。 ベースのヒデ・タナカさんとも話したが、やっぱりとてもいい人で、そのプレイはジュニア氏の要求にすべて応えていた。 3セット全部聴いて、曲目もメモらせてもらった。  店も、コーヒー飲んで、置いてあるパン食べまくって500円ほど。異常に良心的だった。

そのまま歩いてスモールズへ。  この日も面白かった。 グラント・スチュアート(ts)バンド。 ピアノはデビッド・ヘイゼルタインで、この人も11年前にエリック・アレキサンダー(ts)4で観て、それ以来ファンだった人だ。前に較べて少しウィントン・ケリーみたいに音を切って弾いている感じがした。以前はもっと滑らかに弾いていた印象がある。正しくないかも知れないが。しかし、全編に渡ってストレート・アヘッドないい演奏を楽しんだ。耳をダンボにして聴いた。
グラント・スチュアート、上手いしいいにはいいが、俺にはあまりぴんと来なかった。最近、売れているのは知っていたが、イマイチカッコよくない気がする。エリック・アレキサンダーもそうだ。ジョシュア・レッドマンとかマーク・ターナー、クリス・ポッターなんかは文句なくカッコいいのだが。しかし、超ジャズを知ってる感じで、レパートリーとか雰囲気とか、勉強になった。レイン・チェックとか、聴いたこともないポーターの曲とかやっていた。

そのライブに、オルガンのラリー・ゴールディングスがピアノでシットインした。ラリーはいわずと知れたNO.1人気オルガニストで、ピアノもめちゃめちゃ上手く、アルバムも沢山残している。その彼がヘイゼルタインの弾いた目の前のピアノに座って弾くのだから、たまらない。 ラリー、プレイも見た目も思ったよりだいぶ地味だったが、それでも随所に光るものを見せた。終わったあと「あそこのコードがわかんなくてさ〜、マジゴメンね〜。」みたいにグラントに謝るラリー、何だかその様子は俺と大差ない。ラリーも人間だという事か。

その後、また少しセッションを楽しんで帰る。

明日は帰国。11年前は帰国が待ち遠しかったが、今回は寂しい。それにしてもいい研修旅行だった。得たものはでかい。



[“ EDITOR ”'s ROOM ]
19**年のNY・・最後に近い?“ニューポートJAZZフェスティバル”。  サラボーンが復帰・・ジョーンズ3兄弟+1コンサート・・サンラのソロピアノ Live・・ミンガスBigBandの前日リハを潜入 見学・・
いまだにコントクトをとっている方もいますが、OL時代の当時はけっこうな金額で、 退社届けを用意しての長期休暇願いでした。  そのころは、ボーカルの“ボ”の字もなかったので、ツアー到着初日夜の Mel Torme のコンサートは時差で眠くてパスしたのが残念でした。



2011.04.24  [この進歩には、結構満足している・・・]
4月24日
伊良湖でのゆきえっちの三日間ライブ、もう恒例になり、向こうでの楽しみ方もよく判ってきた。 最初は、ついバイキングの美味い海の幸を食べ過ぎていたが、最近は節制が出来るようになってきた。 ダイエット目的で大食いをやめる傾向に持っていっているのだが、やっぱりこの方が調子がいいような気がする。  ウエイトで増量して久しいから、体重も滅茶苦茶重い俺だが、だいたい88キロには抑えておいた方が見た目にもいい。 それだってボディビルのコンテスト・コンディションには遥か遠いが、それでもそれなりに面子が保たれるラインというものがある。 90とか92ではやっぱり豚すぎて話にならない。
30代以降、アベレージ90キロで過ごしてきた俺だが、当初はまだ若かったというか、強さ、でかさを追求する意味である程度満足していた。 今も重たいウエイトを挙げるべく努力している点では同じだが、精神的には大分落ち着きを見せている。 強い自分を自分自身や友達や女の子にアピールしたいという気持ちは、もうない。 ジムでは淡々と自分のやるべきことをやるだけだ。 健康の為というのが目的だし、ジムで時間を過ごす以上、どうせやるなら目的を持って最大限頑張るという訳だ。  よく、やりすぎじゃないか、丁度いい程度にやればいいんじゃないか、という人がいるが、彼らの言う事は結局、10回出来るところを6回でやめろと言っているに過ぎない。 いや、4回かもしれない。 それは俺には意味が判らない。 まあ、いいや。
ダイエットに関して言えば、サーフィン・ライフという雑誌でカリスマ・サーファーのケリー・スレーターが 「現代人は食べ過ぎている。 人間の身体は、そんなに食べないでいいように出来ているんだ。」 と言っていた影響もある。 いうまでもなく彼は、俺とは対照的な存在で、超格好良かった。 先ほどの精神的落ち着きの話がウソのようなミーハーさで、俺は馬鹿食いを止めたのだった。 少しぐらい体重が落ちたところで、俺の場合パワー落ちするところまでは、まだ余裕がある。 そこまでは落とそうかと思っている。
ゆきえっち、仕事に対するビジョンは俺と大分開きがあるようにも見えたが、お互いいろいろ話して、接点を見つけ、だんだんいい感じになってきた。 やっぱり3日間ずつ毎月のようにやるなら、進歩がなくちゃ駄目だ。 この進歩には、結構満足している。

北九州ジャズコレクション、わずか30分一枠だけの演奏だったが、それなりに我々の役割というものを果たせたと思っている。 1バンドめはアマチュアのビッグバンドで、彼らの演奏もよかったが、2バンドめである我々は、コンボのジャズ・セッション部門のイントロダクションとして、なかなか意味のある演奏とインパクトを残せたと思う。 バンドとしての完成度なら、うちだ。  その後は朝まで打ち上げ。俺は相当リラックスして楽しんだが、周りではとてつもないバトルが繰り広げられたりして、俺はそのバトルをも楽しんで見ていたが、冷静に考えればとんでもない晩だった。 でも、イベントは大成功。 企画の黒木さん始め、10人の侍の皆さん、ボランティアの皆さん、熱かった。 それに参加できたのは嬉しかった。 いろんなミュージシャンとも知り合った。 藤山ET、凄かった。 仲良くなった。

来週水曜から2週間ばかりニューヨークに研修旅行に出かける。 何かと仲のいい弟子の佐々木君と二人で行く。 これは、相当楽しいと思う。

[“ EDITOR ”'s ROOM ]
この前、“セキセイインコのリンちゃん”の具合が悪くなった。 大きめの鳥かごの床、右奥のすみっこに 座り込んでいる。  まさに“ひよこ”状態。 手のひらにのせてみると、ふわっとしていて 体重がおちている。  もう7歳くらいになるので、そろそろ寿命も考えなくてはならないが、 大事な家族の一員の 看病につとめた。  まず、できるだけ水を飲ませる。 ゆびについたしずくを 何度もくちばしに持っていく。 えさはほとんど食べる気がないようだ。  ペットショップには、さがしていたものはなかったので、アワ玉(雛鳥用のえさ)を買ってきた。
・・・その後
手当ての甲斐あって、“リンちゃん”は回復しました。



2011.03.25  [震災の日・・・]
3月24日
4月1日に、リットーミュージックから教則本(共著)が出版されます。 ケニー・バロン、キース・ジャレット、ジョー・サンプル、ケニー・カークランド を、オリジナルな切り口で解説し、他にはない充実した内容になっていると自負しています。 他にも優秀なピアニスト達が、たいへん有意義な口座を展開していますので、ジャズピアノを志している人は是非どうぞ!
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超実践!ジャズ・ピアノ塾(CD付き)
賢人20人から学ぶ“ジャズらしい”弾き方
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震災の日は六本木のゴトウ花店で15時からソロピアノを弾く予定で、俺は都営大江戸線大門駅のホームに降りる階段で被災した。  いつか東京に大地震が来ると常々思っていたから、立ち止まってこの揺れが本当に大地震クラスのものか確認した。 するともう、?まらないと立ってもいられず、コンクリートの階段や床がぐにゃぐにゃして感じる程だったので、ああ、これはもう完全に来た、とすぐに確信した。
直後に “地下鉄駅構内は安全だからその場に留まるように” と何度もアナウンスがあったが、安全かどうかなんて都営地下鉄が今の時点で判る訳がないと思ったし、地中深く閉じ込められるのはゴメンだと思ったから、直ちに地上に駆け上がった。  俺ぐらいの歳だと阪神淡路大震災の記憶が鮮明に残っているから、地上ではビルが倒壊したり火災が起きたりしているんじゃないかと思ったが、それはなかった。 ただ、人々は皆立ち往生していて、俺は仕事上の、ちょっと面倒くさい長文メールを打つ必要があったので、よしこの時間に打つか、と携帯をやりだした。  と、直後にでかい余震。 目の前の文化放送のビルがゆっさゆっさ揺れている。 文化放送に勤めている友人がいるのでその模様をメールしてみた。 彼女は無事だったが、結局、会社に泊まりこんで翌朝帰ったそうだ。  ゴトウ花店に電話したが、何度やっても繋がらない。 今日は行けるのかな、等と考えながら例のメールを続ける。 路上に立ってメールを書いていると寒くなってきたので、向かいの貿易センタービルの二階ロビーで床に座ってやる事にした。 ここだと少し暖房が効いている。  メールを書き上げると腹が減ってきたので、街を歩いてつけ麺屋に入った。  これじゃもう仕事は無理だな、と思い、それなら大井町のジムに行こうかなと考えた。 浜松町駅に戻ると、どうやらもう今日は終日電車が動かないらしい、という事が知らされ、そこで俺は自分が 帰宅難民 となった事を自覚した。 時刻は18時。

次に考えたのは、歩いて大井町まで行ってジムでしこたまトレーニングすると終電近くなり、その頃には電車が動いてるかもしれない、という事だった。  国道沿いに群集が列を成して歩いており、道に迷うような事はなかったが、すぐにトイレに行きたくなった。 コンビニに入るとトイレには長蛇の列。 このときはまだそれほどでもなかったが、以後、国道沿いのコンビニのトイレは どこも30分待ちの様相を呈していた。  用を済ませてまた行列に戻るが、足にマメが出来て痛くなってきた。 普段、走ったり歩いたりしてないとコレだ。 だましだまし歩く。  浜松町から大井町でも結構遠くて、疲れてきた。 これじゃ今からトレーニングしてもいいパフォーマンスは期待できないな、ジムの線は消えたな、と思い始めた。

弟子の佐々木君の会社がそう遠くない事を思い出して、試しにメールしてみると返信があり、バイクで拾ってくれるという。 やった、これで助かったと思い、近くのコンビニで待機。 しかし、2時間待っても彼は来ない。  電話は通じず、メールでやり取りするほかないが、向こうのメールがリアルタイムで来ない。 立ち読みしながら数分おきに受信を試みているのだが、すぐ返事が来る時もあれば、次のメールは30分前のものだったりして、うまくワークしない。  結局、それから程なくして、佐々木君は京急青物横丁駅付近で俺をピックアップしてくれた。 叔母さんを救出してから来たそうだ。 時刻はすでに23時20分頃。 ラッキーといっても8時間半が経過していた。  それから彼のバイクの後ろに乗り、酷い渋滞が延々続く中、車やトラックや人をかいくぐりかいくぐり、桜木町へ。 野毛でいつも食べる中華屋に入り、そこで生き返った。 
それから俺達は彼の家で朝まで過ごし、その後帰宅。 帰りの電車は、まだ帰宅難民に溢れていた。 これが俺の震災当日の模様。  今回の惨状には言葉もない。

神戸市須磨区のサカキバラ事件の被害者である、山下彩花ちゃんのお母さんの手記を読んだ。 事件後はこんな辛い人生はもう終えたいと思ったが、今は生きていてよかったと思える。 震災で家族を亡くされた方に、いつかそう思える日が来るんだという事を知ってほしい、という事を仰っていた。
愛する者との別れ程辛い事は、この世にない。 もしその過酷な運命を、神様が用意したのだとするならば、彩花ちゃんのお母さんのように、この真に偉大な事実を人に伝えていくという使命をも、課せられているのかもしれない。

[“ EDITOR ”'s ROOM ]
3/11・・
実は、“新宿オンチ”です。 学生の頃(ず〜いぶん昔!)、スキー旅行時の映像を見ようと、“新宿西口”で待ち合わせ。 携帯なんかないので、メンバーの実家のイエデンで互いに連絡をとる。 それぞれ“西口改札前”にいながら、数時間経つも結局あえずに解散。 あの時の映像はいかに?? 未だに新宿は迷うところで、一人では立ち入らないようにしている。
・・で、3/11は“新宿 SOMEDAY”に行く予定が、若手(b)にくっついてリハから参加になった。 地下の店でのリハ中の揺れで、みんな外に飛び出した。 私は、そのままここでいいかな(?)とか思ったりしたので、一番最後に店を出たが、その時にグラスがいくつも落ちて割れた。 外は人でごったがえしていて、その後の揺れで、乗り物酔い状態。 その後の経過は別の機会に・・
演奏終了後、鎌倉のメンバーも同乗して、帰ることになった。 が、枠線に停めた位置から、まったく動かない2車線びっしりの走行車線に入るのに40-50分。 ウチは2台とも“人間カーナビ”で、ナビはついていない。  その後は若手(b)のみごとな選択で帰路についた。 拍手したくなるくらい見直した!
我が家では“セキセイインコのリンちゃん”が、りっぱにお留守番していた・・。



2011.02.28  [何だか、師匠ばっかりいる・・・]
2月28日
2月は前半が暇で、後半が忙しかった。
ざっと振り返ると、野毛ジャンクの渡辺典保(as)4。 何故か最近、よく誘ってくれるようになった 典保師匠と、付き合いの古い気心知れたメンバーで楽しくセッションした。 ホーム横浜でのこういう 和むライブというのは、毎月でもやりたい。 和むといっても、演奏内容はバッチリ濃いめのエスプレッソだ。

南青山ジマジンでの恒例森近(ts)ライブ、悪天候にも負けずに盛り上がった。 何だか、師匠ばっかりいる。 新曲も追加されて、森近師匠もやる気充分。 今度は八王子の高木慎二(as)の店で、慎ちゃんを加えてのライブが予定されている。 特製煮カツサンドが、また食べれる!

バーバーバーでマリア(vo)バンドのはずが、マリアさんが都合で 急遽フィリピンに一時帰国することになり、代役で若林みわ(vo)が来た。 偶然にも みわバンドの面々が揃ったので、当然のようにアレンジものや バンドの新曲をふんだんに混ぜ込んで演奏。 楽しかったが、外は大雪だった。  帰り道、家の近所の急激な坂をチャリで登ってみたのだが、死にそうだった。 すべりまくりで立ってすらいられないのに、チャリで行ける訳がなかった。 もうやめた。

昼ぴで池田潔(b)、古地克也(ds)と。 諸事情が重なってバランスが取りづらいライブだったが、いくつもの発見があり、それが先に繋がる事となった。  その足で桜木町キングスバーへ行き、内山夏生(vo)さんのライブ。 相当マイペースな彼女にびっくりしたが、楽しい時間を過ごした。 伊藤啓太(b)さん、昔はトリオを手伝ってもらっていた時期もある。 久しぶりに出来て、嬉しかった。

先月に続いて、ふたたび阿部紀彦(pf)邸でセッション。 阿部ちゃんの友達の素敵なお姉さん(vo)と阿部ちゃんと俺のツインピアノ。 これを録音してプレイバックしながら遊んでいるのだが、何か、遊ぶだけじゃなくもうちょっと形に出来るのではないかと思ってきた。  ピアノデュオはよくあるが、そこに歌が入るのは珍しい。 ピアノデュオというのは不思議で、バトル状態になっても全然聴けるし、逆に潜る事も簡単にできる。 同じ楽器だからお互いの事がよく判るし、ある意味では楽にプレイできる。  しかし、そこに歌が入ると話が変わってきて、どのように役割を分けてすっきり伴奏するのかというのが、立派にバンドとしてのチームワークを要求されるし、めちゃくちゃやりがいがある。  先月は阿部ちゃんのピアノの上手さに驚かされて終わった俺だが、今回はかなり自分のやりたい事を試したりさせてもらった。 これからこれも、どんどんよくなると思う。

若林美和(vo)のグループで静岡を3箇所ツアー。 メンバーは古地克也(ds)、俺(pf)、池田潔(b)。  毎回激しい反省会をこなし、演奏はどんどんよくなった。 たった3日間でも内容が濃くて、へとへとになった。 反省会といったって、このバンドの反省会は並みの反省会ではない。 対外的には、正直いって恥ずかしい。  しかし、それで確実に演奏を上げて行っているし、俺も結構これが楽しめるようになってきた。

[“ EDITOR ”'s ROOM ]
一昨日、同窓会があった。 中学時に3回転居し、かよった中学校は3校。  二番目の中学の三年のクラス会。 卒業は別の学校になったので、卒業アルバムもなく、○○年ぶりになるが、行き届いた幹事さん達の進行はみごとで、あたたかく楽しい時間をすごした。 昨年は、小学校&最初の中学の同窓会で 北海道に行き、もどってからまもなく 二番目の中学の学年同窓会があった。 そしてさらに、数日前 突然の電話。 携帯に・・。 高校の吹奏楽の同学年の会のおさそいで、これは3月の予定。 卒業以来 まったく開いたことのない集まりで、とっても楽しみ。 



2011.02.01  [実際予想を上回る美味さだった・・・]
1月30日
ザックジャパンのアジアカップ、相当楽しんで観戦した。 こないだのワールドカップのときより格段と強くなっていたし、毎試合苦戦しながらも優勝したのはすごい。  他のチームと実力的に拮抗し、どちらが勝ってもおかしくないように見えるものの、こういう結果というのは決してまぐれなどではない。  得てして、勝因となったほんのちょっとの差というものは、じつはちょっとじゃなかったりするものだ。 だから結果的に優勝した事は、あまりにも大きい。  李忠成の、決勝ゴール後の弓を引くパフォーマンスは、所属するサンフレッチェ広島のものだそうだ。 なんか、いい。

去年も行ったゆきえ嬢(vo)との伊良湖の仕事、今年は3日間もやった。 演奏は一日に30分を2回だけだし、景色はよく料理も美味しい。 更にお風呂も入り放題なので、もう完全にリゾートボケした。  バイキングでスズキのお刺身とか食べ放題なのだが、もう身がぶりぶりだ。 本当に新鮮な白身魚の刺身を現地で食べるときの、あのぶりぶり、モチモチ感、たまらん。  向こうでは好き嫌いが別れるそうだが、関東人にとってはスズキのお刺身食べ放題っていうのは、かなり贅沢なイメージがある。 海の幸や野菜などはどれも素晴らしかったが、料理自体もとても美味しかった。

それから去年の話だが、マリア(vo)バンドで八王子で仕事をしていて、休憩中に連れて行って貰った店がサックスの高木慎二の店だった。 彼とは以前仕事をしていた横浜コンテンポラリー音楽院の講師仲間で、ちょくちょく演奏も共にした友人だ。 彼が店を本格的に継ぐ事になってから久しく会ってなく、たまに電話で店に顔を出す出すと言いつつも延び延びになっていたから、行った店が慎二の店だと知って、俺は喜んだ。  久しぶりに会う彼は、相変わらず元気でテンション高い。 俺は、嬉しかった。  彼で思い出すのは、ライブの時「曲は何でも知ってるから任せろ。 テーマは弾いて。」とか言って、テーマをこっちが弾き終わると、いきなりどフリーなブリブリ奏法で入ってくる。 つまり、曲なんか知ってようと知ってまいと、一緒なのだ。 相当、笑わせて貰った。
彼の店「JAZZ BAR&カフェ ROMAN」には自慢の逸品“煮カツサンド”があって、テレビや雑誌で何度も紹介されているのだが、それをメンバー全員にご馳走してくれた。  美味いだろうなとは思っていたが、実際予想を上回る美味さだった。 ただのカツじゃなくて、肉がミルフィーユ状になっており、間から肉汁と脂がじゅわっと染み出すのだ。 ソースも抜群に美味いし値段も良心的なので、頼んで後悔する事はまずないだろう。 今後、ライブもやる予定だ。ROMAN http://yaplog.jp/nikatsusand/

あと些細な事だが、自分のサウンドやヴォイスを作るための練習というものは一番難しく、ついそればかりやってしまうものだ。 俺の場合などは90パーセント以上、それに費やしてきたといってもいい。 しかし、ベンチプレスばかりやっていてもいいアスリートになれないのと一緒で、それに偏りすぎるのは禁物だ。  それを回避するために、サウンド作りの練習をベンチプレスだと考えて、一日にトライする回数を決めたらどうだろうか。 例えばオフの日だったら20回トライすると決める。 満足のいくタッチで弾けても弾けなくても5分以上は弾かない。 短く休憩を挟んで再トライだ。 朝と夕方と夜に分けてもいい。 このようなやり方が非常に有効なのではないかと、最近は考えている。

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ちょっと 体調不安定・・ いろいろひっかかったりして、検査だらけ・・  で、食生活変換作戦。 21:00以降は食べない! 他の家族の行動にかかわらず、一人だけ とりあえず、実行することに・・。



2010.01.18  [お前は、恋をした事があるのか?]
1月16日
新年明けて大分経ちましたが、あけましておめでとうございます。

一月の前半など、暇もいいとこだったのでピアノの阿部紀彦さんの御宅に練習に行った。阿部さんは、ナイスで茶目っ気たっぷりな人柄と、謙虚な姿勢からみんなに愛されており、俺などもいつも「阿部ちゃん」呼ばわりしてタックルしたりしていたのだが、実際そんな事、とてもしちゃいけないような大先輩であり、すごいピアニストである。というか、誰に対してもしちゃいけないのだが。

そもそも年末に、ジャムセッションで久しぶりに聴いた阿部ちゃんのピアノが、あまりに素晴らしかったので、こちらからお願いして一緒に練習してもらったのだ。「新年会がてらワークショップやろうよ」的なノリで、ベロベロに酔っ払った阿部ちゃんに無理矢理約束させた。 しかし、実際に行ってみるとワークショップどころではなく、こちらが一方的に教わる事ばかりだった。何か、悪かった。向こうは何ひとつ、いい事なかっただろう。それでも嫌な顔ひとつせずに、というか積極的にメチャメチャ楽しんでくれた阿部ちゃんは、エンジェルかもしれない。そこには阿部ちゃんの友人の素敵なボーカルのお姉さんも来ていて、みんなで酒飲んでブルースだのバラードだのやりながら、俺は阿部ちゃんにいろいろ教わり、素晴らしい新年会となった。

俺達は、バチバチにバトル的なデュオをやったりもしたが、そういうのはむしろ楽だった。ひとりずつお姉さんのバラードのバッキングをしあったり、そういうので一番差を付けられた。その他、ふたりの目の前で俺がソロでインプロしたり、しかもそのすべてがラインで録音されていたりと、訳が判らないながらも充実したひと時だった。
阿部ちゃんのバラードがあまりに素晴らしく、どうやるのか聞いたら、左手の小指をエッジな角度で立ててベース音を鳴らすんだ、と教えてくれた。その助言、ワークした。
毎日練習してだんだん俺の各部署とリンクしてくると、椅子も高くなり、右手もこの感じで鳴らすようになってリズムの点にも幅が出てきた。拍のポイント、点にも長い短いがあって、点に幅が出るとサウンドしやすくなり、自分も共演者も楽なのだ。
阿部ちゃんは「お前は、恋をした事があるのか?」と言った。「愛しい人を想ってせつなく弾け。」と。恐るべし!! 今後、もうタックルはしない、と約束して阿部邸を後にした。

年末年始限定の喫煙、今年は例年より二日ほど早く、12月27日の夜からやった。27日の夜に生徒で友人の、佐々木君の付き合いで渋谷のクラブイベントに行ったからだ。クラブってあんた、いくら普段さば読んでるからってちょっと、、と言いたくもなるが、もういいのだ。B系のファッションに身を包み、高校生の如く自慢のジョーダンの靴をピカらしてクラブに行くんだから、タバコぐらい吸うか、というわけでちょっとばかり開始が早まったのだった。
ここでいきなり馬鹿吸いすると体調がベリーバッド化するのが例年のパターンなので、今年は節煙した。すると年明けてジム再開すると、例年よりコンディションがよかった!嬉し。 何かトレーニングも、最近はちょこちょこベストを更新したりしながら、楽しんでやっている。

そういえばクラブで黒人系床屋の兄ちゃんがサービスで髭やもみ上げ、襟足を整えてくれてて、試しにやってもらったら馬鹿かっこよくしてくれた。ラインがやっぱり一味違うし、俺なんかが突然お願いしても、ちゃんと似合うようにやってくれる。NYのそっち系床屋に修行に行く若者がいるようで、バリカンその他も向こうで調達したやつを変圧器で使っているそうだ。兄ちゃんの仕事振りは丁寧で抜かりなく、なかなかセンセーショナルだった。 俺も佐々木君ももみ上げブリブリだ。

[“ EDITOR ”'s ROOM ]
自分の時間がなかなかとれない。 優先順位でよけてしまう。  やっと集中できそうな時に、頼まれることで、以降の予定が違ってしまう。 家族からがほとんど。 送って・むかえに来て・あずかって・いないあいだにやっておいて・・・  自分のことは後回しになってしまう。  そんな中 今年こそ 自分の為の“時”をだいじにしたい。



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