| TOP | SCHEDULE| NEWS | BIOGRAPHY/ プロフィール | DISCOGRAPHY/ アルバム紹介 | LINKS | JAZZ | PERSONALITY|

戻る


[断酒、心当たりのある人は是非]

俺が断酒を決行したのは30歳の誕生日だ。  冗談みたいだが20歳でタバコ、30歳で酒をやめた。  まあタバコはその後何度か吸わせていただく機会に恵まれたが (禁煙の章 参照)、 事実上禁煙を決断したのは20歳のときであった。

俺が酒を飲みだしたのも、やはり高校入学と同時だった。  寮住まいだったから友達と自販機でビールを買ってきて飲むようになったのが最初で、 その後はすぐ居酒屋にも出入りするようになった。  当時は締め付けがゆるかったのか、どう見ても未成年の俺たちが、 ちょっと背伸びした格好をしさえすれば簡単に居酒屋に入る事が出来た。  この頃から既に俺は他の友達よりも酒が強かったし、誰よりも深酒する傾向にあった。  深酒するからには酒癖も悪く、飲酒癖がますます素行を悪化させた。
20歳を過ぎるとますます酒量が増えたし、酒で問題を起こす事もしばしばだったが体を鍛えてもいたし、 何となく周りからも許されていたのでやめようとは思わなかった。

俺は酔うために飲んだ。  酔っ払ってハイになった状態が大好きだったし、飲みだすとどこまでも徹底的にハイになりたがった。  途中でやめるなんて論外だったし、それなら全く飲まないほうを選んだ。  深酒は俺には大した苦痛をもたらさなかった。  ゲロ吐いたとしてもそれでスッキリしてまた飲み直したし、二日酔いで頭が痛くなった事もない。  二日酔いは単に酔っ払った状態が続いているか、酒がきれかかった時の倦怠感だけで、また飲めばそれも治まった。  勿論これはまだ元気だったからだが。
俺は飲むと食わなかった。  全く、だ。  10代の頃から夕食時に晩酌をしようと思って買ってきた日本酒を飲み始め、 結局食事には一切ハシをつけずにそのまま1升飲んでしまったりしていた。  勿論わざとやっているのではない。  酒の味もわからなかった。というより大して興味が無かったのだ。関心があるのはもっぱら濃いかうすいかだけだった。  何とか少しでも苦痛を伴わずにアルコールを流し込んでハイになり続ける事だけを考えていた。  完全に酒を中心に生活がまわっていたのだ。

俺は贅沢や賭け事は一切しなかったが、飲みたいだけの酒はどんな事をしてでも確保した。  まわりのどんな人間関係よりも酒のほうが大事だった、本当だ。  それでいてまわりの人間にめちゃめちゃ依存して生きていたのだ。  だから自然に俺はまわりの人間を都合よくコントロールしようとするようになった。  相手が敵か味方か、かなう相手かかなわない相手か、自分にとって損か得か、 自分の影響力がどれだけ及ぶか、 自分を見捨てるかどうかなどを鋭く嗅ぎ分ける嗅覚を身に付けていた。  仕事に関しても上手くこなせるよう適応していて、練習もアイデアをしたためておいて出来る状態のときにまとめてやったり、 プレイするときも、ためておいたエナジーをバッと集中させて演奏したり、 妙な要領の良さがあった。  あの感じだけは今、ちょっと欲しい(笑)。  俺は利用できる相手はとことん利用したし、相手が自分の影響下にある時はきまぐれに接して冷淡だった。  また相手が自分の引力圏内から出て行きそうになると、ずる賢く立ち回って引き止める術に長けていた。  一言で言えばまさに悪人だったのである。

ところで俺は毎日飲みたいだけ飲んでやろうと思っていた訳ではない。  俺の20代は何とかして酒をコントロールしようという、まさしく酒と格闘した10年間だった。  酒を飲んでの失敗は数え上げたらキリがないし、酒に縛り付けられたような生活にも辟易していた。  そこで何とか健康的に飲めないものだろうかといろいろ試してみた。  まず量を決めるやつ。  1日にワインを1本とか決めてみたが全然守れなかった。  酔っ払う途中でやめるのが我慢できなかったのだ。  これがウィスキーを1日1本だったら守れたかもしれないがそれじゃ意味が無い(笑)。
しばらくして今度は毎日1時間だけバカ飲みする、というのをやってみたが、これも全然駄目だった。  やはり途中でやめるというのが苦痛でしょうがなかったのだ。  俺は起きながらにして酔いが醒めていく、あの感じが大嫌いだった。
今度は週に2日だけバカ飲みする、あとの5日は1滴も飲まない、というのをやってみた。  これは他のあらゆる試みよりははるかにうまく行ったといえるだろう。  土日、あるいは金土だけバカ飲みしてあとは絶対飲まないというのを1〜2年の間、大方守って過ごす事が出来た。  しかし、それ以上持ちこたえる事は出来なかった。  月曜日につい飲んじゃう、という事がしばしば起こるようになり、更に結局は火曜日、水曜日と飲むようになってしまったのだ。

そんな風にして20代も終わりをむかえようという頃、友人の一人が俺に1冊の本を貸してくれた。  「お前はアル中だからこの本を読むべきだ。」  というのだ。それは確かアメリカの本で、何人かのアル中の体験を自伝的に記してあるものだったが、 その人たちは医者や弁護士や社長やロックミュージシャンとか、社会的には成功を収めたとみなされるような人たちばかりだった。それを読み始めるとすぐに俺は  「ああ、俺はアル中だったのか!」  と簡単に納得してしまった。  そこに書かれていたアル中のエピソードや心理が、まさに自分そのものだったからだ。  昔、伯父が 「アル中というものは一生完全に断酒しないと駄目なんだ。」  と話していたのを思い出した。  それから1日半考えて、俺は断酒する事を決めた。

一度決断しさえすれば禁煙のときの経験がモノを言った。  ちょうど1ヵ月半か2ヶ月先に30歳の誕生日をひかえていたのも好都合だった。  迷いはなかったし、自信もあった。 誕生日までの1〜2ヶ月の間は毎日全くセーブせずに飲んだ。  仕事に差し支えないように注意はしたが、その他のことは全く何も考えなかった。  するとその間アル中の症状がどんどん進行するのを体感した。  ずっとあまり長時間熟睡するという事が出来ない体になっていたがその時期だけは違った。  毎晩全く記憶がなくなったし、長い時間1度も目を覚まさなかった。  昏睡状態である。体中ジンマシンが出てきたが気にしなかった。

そして30歳の誕生日前夜。  たしか横浜コンテンポラリー音楽院でインストラクティングの仕事があったので そのまま近くのライブハウスGIGで飲んだ。  そして飲みに飲んで12時を迎える瞬間最後のバーボンロックを一気に飲み干して終わりにした。  と、思ったそのとき、ジャムセッションのリーダーをやっていたベースのサリー佐藤さんが  「みんな、加藤が酒をやめるんだって!  おめでとう、カンパーイ!」  とか言うのでさらにもう1杯飲んだ。  だから俺は30代になってからも3分ぐらい酒を飲んでいたことになる、ははは。

それから今まで幸い1滴の酒も口にしていない。  いや、正直に告白すると比較的最近、まったくのアクシデントでひとくちだけ飲んだ、という事が2回もあった。  通常アル中はこういう事件があると何十年やめていようともまたバカ飲みが再発するものだが、 完全に過失で飲んだそのひとくちに関してだけは飲んでいないものとみなす、というルールを定めているため何とか持ちこたえた。  しかしながら久しぶりに胃に入ってきた酒の感触たるや、スゴかった。  胃に悪魔が宿ったかのように翌日までその存在感が残り、何度も心が折れそうになった。  くわばらくわばら。

最近の年末年始限定のタバコ再発の経験が、こんな時に役に立っている。  あれの二の舞にしたくないと思わせたのだ。  あれがなければ何らかの形で俺の飲酒が再発したに違いない。  何事も無駄なものはない、とはこの事だ。

最後に、まだ時間のあるうちに酒をやめるアル中は殆どいない、ということに言及しなければならない。  いろいろ書いたが俺の断酒を後押ししてくれた一番の存在は、家族でも友達でもなく、音楽だった。  とにかく上手くなりたかったから酔いつぶれている時間が勿体無くてしょうがなかったのである。  そういう意味では俺の断酒は依然として自分本位な動機によってなされている。  こんな動機を持たない通常の場合だと精神の成熟なしには、 つまり自分の愚かさに気づきすべての人々に償いをしようとかいう境地まで来ないと なかなかやめられないようだ。  だから俺の場合も先の事は誰にもわからない。  勿論一生やめ続ける覚悟はあるつもりだが・・・。

のんべえ諸君、参考になったかにゃ?


| TOP | SCHEDULE| NEWS | BIOGRAPHY/ プロフィール | DISCOGRAPHY/ アルバム紹介 | LINKS | JAZZ | PERSONALITY|

[  ]  

Copyright(C)2004- Eisuke Kato. All Rights Reserved.