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[Trio “Super Freaks”]

今のところ、俺のグループは林正男(b)、小松伸之(ds) からなるピアノトリオ、 “Super Freaks”(通称、民衆トリオ)ただひとつだ。  これは何代目かのトリオである。  過去トリオの一員として共に歩んでくれたミュージシャンには 生沼邦夫(b)、正清泉(ds)、工藤精(b)、古地克也(ds)、山下弘治(b)、つの犬(ds)、江上友彦(b)、橋本学(ds)らがいる。  なぜずっとトリオを続けてきたか、はじめそれは大昔レッスンに行った野村耕一郎さんという名ピアニストが、 「ピアニストにとってはトリオが一番面白いよ。」 とおっしゃっていたから、という程度の理由だった。  しかし今現在の俺が、フォーマットについてどんな考えを持っているかと言うと、 実はこれといったビジョンもない、というのが正直な答えだ。  ピアノにピチカートのコントラバス、ドラムスにサックスやトランペットといった、 よくあるジャズバンドの編成は歴史の中で誰かがやり始めた編成に過ぎないわけで、 そもそも俺がピアノを弾く事自体も、まずピアノが既に発明されていて、 それを俺が現代の日本で幼少の頃より習い始めたという歴史的背景があってはじめて成立する事である。  とすればフォーマットについて真剣に考えた場合、誰も、自分の音楽を表現するのにベストな編成はトリオである、 とは言えないのではないかと思うのである。  だからこの考えから行くと、俺がずっとトリオをやってきた理由というものは、明確には無い、と言う事になる(笑)。

しかしながら、トリオ“Super Freaks”における演奏の醍醐味、と言う事であれば俺にも話せる事はあると思う。  ピアニストにとってトリオ演奏の魅力と言えば、まず自分が強力に支配力を発揮しうるところだ。  支配したい、と言っているのではない。  しかし俺は自分のトリオにおいては、 (サイドメンのときでも局面によってはしばしば) 間違いなく指揮者(コンダクター)だ。  要所要所では必ず采配を振るう。  メンバーも俺が采配を振るう事を知っている。  演奏の中身においては3人が完全に対等の立場でプレイするシーンも多いが、 今から対等になるという合図を出すのは俺か、もしくは音楽自体だ。  そして次のシーンに移り変わるタイミングを決断し、次にどこへ行くのか決定するのも、やはり音楽の流れか、大抵は俺自身だ。

俺は音楽を流れに任せることも多いが、時には思いつきで何かクレイジーなアイデアを提示する。  後の事は考えない。  ただ、今までの演奏がどんなだったか、構成や雰囲気、長さやバランスだけは覚えておく。  そして彼らの出す音を聴く。  焦らずに、自然にひらめいた事を弾く。  また聴く。  イメージと違っても決して取り乱さずに受け入れる。  べつに1からやり直してもいいし、0に戻ってもいい、気心知れた仲だ。  突然狂気にも似た感情を爆発させてもいい、ただしそれが嘘でなければ(笑)。  時には少し、時にはたくさん弾く。  喜怒哀楽たっぷりに会話するのだ。様々な表情の音があらゆるバランスで交差するのが望ましい。  ただし、話題を変えすぎるのは良くない。  面白い話になったら徹底的に話し込んでみよう、何か思いもかけない展開が待っているかもしれないから。  そして、音楽が充分に何かを語ったと思ったら、 「さあ、切り上げようぜ!」 と合図して次へ行く。長居しすぎるのは野暮というものだ。  どうだろうか? 俺としてはこうして文章で書いているだけでも、楽しくて仕方ないのだが・・・。  こんな風にして、俺はトリオ“Super Freaks”でプレイしている。

ところで俺は、なるべく3人の間に起こった出来事に身を任せる事にしている、とお話しした。  それは、 林正男(b)、小松伸之(ds) 両氏との間にはすでに、かつて俺が自分のグループにおいて到達し得なかったレベルの信頼関係があるからだ。  Super Freaksでプレイする時、俺は何をやっても大丈夫、というような安心感がある。  しかしそこには恐ろしい落とし穴が存在する事も経験から知っている。  実はこれらはすべて、俺が彼らのすべてを受け入れる、そして彼らも俺のすべてを受け入れる、 という姿勢を貫く事を前提の上に成り立っている。  これを破った時、今までの信頼関係は、あったことがまるで嘘のように崩れ去る事を俺たちは知っている。  俺は彼らを知っているし、彼らも俺を知っている、勿論音楽の上での話だが(笑)。  長い間活動を共にしてきて、お互いの得意な事とそうでない事、決して相容れない事柄などを学んできたと思う。俺たちは紛れもなく接点で音楽をしている。  そう、人間関係そのものなのだ。  すべてを受け入れた時に、すべてがワークし始める・・・。

ピアノトリオはまた、ピアニストが上手くないと聴けたもんじゃない、という特徴も兼ねそろえている(笑)。  だからチャレンジとしての意味もあったことは事実だ。  ピアニストは力の抜き方、アクセントやレガート、様々な幅のリズム、ダイナミクスの付け方、いろいろな歌いまわし等、 実に細かい様々な事柄を熟知する段になって、やっと奥行きを感じさせる事が出来るようになる。  そうなるとピアノトリオが実にディープな音楽となるのだ。  俺もそこを狙っている(笑)。  だから勿論ソロピアノも、同様の目標だ。  もっと大きな編成や、エレクトリック音楽に関しても、 これらの目標がある程度達成されたとすればやろうという気が起きるのかもしれないが、どうも俺は不器用なたちで、 目の前の目標にしか目が行かない。  発想の転換の必要を感じる事件でも起これば話は別だが、どうも今のところは正直言ってかったるい。  それよりも、先ほどの話にもつながるが、編成は何だろうと問題ではないとか、 何でもピアノで表現できるというところを目指したいとか、そんな風な発想になるのが俺という人間である。  つまらん男だと思う人もいるだろうが、その辺はまたおいおいご指導くだされ(笑)。

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