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[加藤英介ヒストリー  2]

高校 駿台甲府高は半分山梨県の生徒、半分全国から来た寮生の学校で一応進学校を謳っていた。  しかし、だ。  長年親のやれ東大行けだの大臣になれだのといった雰囲気に嫌気がさしていた俺が初めて親元を遠く離れたわけだ。  ここで何が起きたか。  俺の中のなめた人生を送る才能が一気に開花してしまったのである。  実はこれから長年にわたるチンピラ時代のモデルになるものは、もうずっと以前から俺の中に入り込んでいた。  少年ジャンプとヤングマガジンである。  この中の <北斗の拳> <be−bop−highschool> <AKIRA> は俺の人生に間違いなく強烈な影響をもたらし、特に <AKIRA> にでてくる暴走族少年には完全に自分を投影してしまった。  だからマジな話をするならば、暴力映画や暴力ゲームのもたらす悪影響は深刻だと思う。  (今あげた3つの作品はどれも決して不健全なストーリーではなかったにも拘わらず、だ。)  具体的には酒、タバコ、暴力がひどくなり、学校をサボるようになった。  校則で禁じられているバイトをしていて、 終わると15〜6歳にして生意気にも行きつけのパブがあったし、 飲み友達は大学生や専門学校生、いくつも年上の人たちだった。  高校の仲間とバンドもやっていたが、みんなの音楽性は実にバラバラだった。  俺はシャカタクを弾いたかと思えば、化粧をしてハウンドドッグを歌って客席に突っ込んでみたり、 とにかくやりたい放題むちゃくちゃやっていた。すると近くの女子高にファンが出来たりした。  このあたりはさすがに甲府だ。  湘南も変わらんが。  そしてどういうわけか友達の姉ちゃんとデートするようになってみたりと、まあなかなか楽しかった。  とにかく異常な事が通用する時代だった。  そして2年の夏に放校処分が下され、神奈川県立二ノ宮高校に編入。  これが辛かった。
あまりにテキトーな生活をしていた俺から見ると、二ノ高の生徒は地味というかマトモだった。  授業中しゃべる奴はいないし、休み時間にトイレでタバコを吸う奴も殆どいない。  あまりにも肩身が狭かったし、おまけに体のデカイ番長と無謀にもケンカしてやられてしまったために ますます肩身が狭くなった。  しかし捨てる神あれば拾う神ありで、中学時代からの地元の友達とつるみ始めた。  朝、学校に行こうと駅に行くと、 同じように別の学校をドロップアウトした奴が俺を待っている。  「おはよう。」 とタバコを2本、3本と吸っているうちに 「しょーがねえ、今日もサボるか。」 という事になり、これから学校に行こうとしている女子学生に声をかけたり、 既に完全にドロップアウトしている奴の家に行ったりした。  また当時の小遣いが一日100円ということからタバコが買えず、 (毎朝テーブルの上に百円がおいてあった。  これは俺が一度に使ってしまわないように、という親の配慮から。  ちなみにこの頃はバイトをしていなかった。) 会う奴会う奴に金をせびったため気味悪がられ、 その後10年近くの間久しぶりに会う友達には妙におどおどされた。  皆さん、大変申し訳ありませんでした!  昼に近くなると、ミスタードーナツに近くの高校を早退してきた仲間がちらほらと集まりだし、 午後には毎日がドンチャン騒ぎだった。  挙句の果てに、高校はケンカで無期停学になったのをきっかけにやめてしまった。  高校時代、終わり。  (ジャズ新鮮組のプロフィールでは高卒と書いたがあれは学歴詐称。)

それから・・・ それからはバイトしたりしながらチンピラめいた生活が続いた。  地元の仲間は輪が広がって街に飲みに出るとあちこちで知り合いに会った。  ボクシングもかじっていたので腕には多少の自信があってよくケンカもした。  思いつきで歌舞伎町のディスコ、ニューヨークニューヨークで寮に入って働いていた事もある。  90年ごろの話だ。  楽しかったなー、しかし。 それからだんだん仲間は別れだした。  マトモになる奴、本格的に堕ちていく奴、派手な奴、地味な奴。飲む奴、飲まない奴・・・。  みんなイッショクタだった仲間がめいめいの道を歩き出した感じだった。
そして俺にはやっぱり音楽かなと思って、R&Bのバンドに応募して入れてもらった。  みんな年上の人たちで、ガキ丸出しだった俺をよくしつけ、またやさしくもしてくれた。  ここで俺はプレイも人間としてもちゃんとする事の大切さを学んだ。  今、ちゃんとしていると言っているのではない。  そのバンドは海でバーべキューをしたりメンバーの誕生会をやったり、とにかくやたら結束の固いバンドだった。  だからやめる時は少しモメた。  みんな今頃どうしてるだろうか。  このバンドをやめたのは自分の人生におけるちょっとした決断だった。  それからジャズ一辺倒になった。  何人かの先生に3回ずつとかレッスンを受けたが、俺はわがままだったから結局自分でやった。  ある面では近道、別の面では遠回りだったように思う。  しかし精神的にも自立を余儀なくされたし、この時期で俺の青春は終わったと認識している。

    

   

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